宇宙

では、また、いつか。いつものとこで。

 先日、俺のお世話になった先生が天寿を全うされた。その先生は、俺の通っていた塾の先生で、小学校低学年からだから20年以上の付き合いだろうか。自分が塾の生徒を卒業した後も、年に1~2回は酒を交わしたり、人生の岐路に立った時に相談したり、卒業後も俺の先生でいてくれた人だった。

 勉強以外にも、酒、音楽、遊びなど悪いこともバカみたいに教えてもらった。塾の先生なのにゲームを貸してくれたり、塾で酒を吞んだり。音楽も、先生は70年代ハードロック黄金期にどっぷりの人だったわけで、音楽バカ、ロックバカになったのも先生のおかげである。そういえば、JAZZの世界も足を踏み入れたわけだから、先生の功績は物凄いなぁ。

 バーボンと、煙草を愛する、眼鏡をかけたナイスガイな先生、愛すべき兄貴。頭が上がらない人。自分の信念を持ち、批判的に考えて貫いた人。妻子はいなかった分、可愛がってくれたのかもと今になってそう思う。

 ここ2年くらいは、疎遠にはなっていた。俺の中で人生の岐路に立った時、自分で決めなきゃいけない。頼ってばかりもダメだって思っていた。転職することも、実家を離れ、一人暮らしをすることも。だから、こっちから連絡することは無かったし、できなかった部分もあった。

 今年の2月に先生から珍しく着信があった。先生のお母さんからだった。先生は、現在入院していて、咽頭癌のステージ4。積極的治療法は無く、本人は延命処置を望まず、緩和病棟に入院しているとのこと。

 正直、頭が真っ白になった。医療を飯のタネにしている分、状況はもう変わらない事はわかっていた。結局三日後、顔を出した。自分の気持ちが整理できなかった。頭の中で寄せ細っている先生の姿がグルグル回っていた。

 でも、イメージしていたよりずっと元気だった。癌でかすれ声だったけど、いつもの先生の姿がそこにあった。いつも通りの会話、世間話。先生から病気の話も聞けた。唯一の後悔はもう味噌ラーメンを食えない事だって。いつもの先生と俺の姿がそこにあった。煙草も吸っているみたいで、そこで看護師と話すのが楽しいと。先生らしい。先生の友人にも会い、いろいろ話を聞かせていただいた。面白い人間には、面白い人が集まる。これってやっぱり本当だぜ。 

 結局それから3回くらい顔を出しに行った。先生との会話は変わらない。でも気持ちはすり減ってたんだなと今では思う。会いに行って、スゲー疲れたのは覚えている。そこにきて、転職、引っ越しと自分の人生もターニングポイントを迎えていて、足が離れてしまっていた。その後、3か月は顔を出せなかった。本当に弱い人間だ、疲れている顔を見せたくない。何かしら理由をつけては行かなかった。ちょうど、今月に入り3連休があり、久々に顔を見せようかな、なんて思っていた気がする。

 三連休の前の日の夕方、塾時代の後輩から電話がかかってきた。2日前に先生が亡くなった。明日の午前中には出棺するとのこと。

 俺は、先生のところに向かった。先生は、眠っていた。今にも起きてきそうだった。顔を触りたかった。でも触らなかった。今考えれば良かったんだよ。野郎に顔を触られるのって気持ち悪いしさ。

 そこで、先生の父と母と話すことができた。突然だったらしい。咽頭癌は咽頭周辺を埋め、最終的には窒息する。断末魔とはこのことかと話されていた。鎮痛剤を入れてはいるが、本人は苦しかったんだろう。そして、朝方、息を引き取ったとのこと。医者も、予期していたよりも、急なことで正直驚いているとのことだった。

 でも、先生はやっぱり先生らしい。看護師からも人気で、なんでも教えてくれる。煙草タイムに先生と話をすることが楽しみで、もう話ができないって泣く人もいたらしい。

 生前、よく俺の事をこう話していたらしい。忙しいんだろうな、どこに配属されたかわかんないけど、慣れるまでは大変だろうなって。そして、先生の母さんはこうおっしゃっていた。きっと会いたがっていたんですね。自分からは会いたいなんて言わない人だったから。

 配属すら伝えてなかったんだな。

 その日俺は、久々にバーボンを呑んだ。フォアローゼス。先生の好きな酒だ。行きつけの店に行き、ボトルに入ってたのを全部開けた。なんだか、それしかできなかった。気が付いたら、少し眠ってしまっていて、家路についた。出棺に行くかは悩んでいた。でも、行きたくなかった。本当のお別れなんてさ、まっぴらだ。だから、呑んだんだろう。バカみたいに呑んだんだろう。自分でもいやになる。明日起きたらもう出棺おわってくれればなんて思ってたんだから。

 起きたら、出棺の二時間前だった。でも、行かなかった。その時間まで俺は、先生の好きだった音楽を聴いて過ごしていた。初めて俺に勧めてくれたKISS。俺ができるのはそれくらいだ。


 正直、今も受け入れられていない。泣けてもいない。まだまだ、話したいことはいっぱいある。忌野清志郎みたいだ。いつかひょこって現れて、バカみたいな話をできそうな気がしている。それでも、先生は、最後の最後まで先生だったと思っている。死ぬとは何か、自分の死を選ぶとはどういうことか。そして、大事な人の死はこう感じるんだぞってことを自らで教えてくれたんだって思う。先生らしいな。


 先生、今まで一回も言えませんでしたが。ありがとうございました。今の俺がここにいるのも先生のおかげです。なかなか連絡できなくてすみません。ちなみに配属、俺の希望した場所だったんだけど、もう最悪で…って話長くなるんでまた今度にしますね。当分は会えなさそうですけど、また、いつか呑みましょう。その時までには、俺禁煙してるかもですが(笑) あいつも呼んで、いつもの教室で。


 今日は、味噌ラーメンでも食うかな。そんな三連休の初日。

 



 

 

 




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