正しいという危うさ
2020年5月22日 最近は暖かったり、寒かったりするんだよな、札幌。少しずつ街が動きはじめているような気がしている。
とは言え、治療法も確立してはいないし、医療機関の現場的には何も変わってはいない。新規感染者数は減少傾向って事くらいなのかな。
世の中のムード。空気感。やっぱりあるよね。店が開いてる。みんな外出しているから大丈夫なんじゃないかなって。判断基準が曖昧になる。そりゃね、みんな我慢してんだ。解放されるのを待ってる。
きっとコロナ感染は爆発するんだろうな。
ヒハマタノボリクリカエシテイク。
DAの名曲かよ。
コロナと共存する道を模索する。これが今後のテーマになると思うわけです。
経済も、教育も、社会的責任も、人生も。コロナと歩まなければならないから、ちょっとずつ歩幅を合わせないといけないんだね。そうなると、世に蔓延る、正しさっての扱いも変わらないといけないのかなと。
自粛警察や、うるさいババアとかジジイどもも、SNSにいる他人をやたら攻撃するやつらの言ってる事はごもっとも。
自分の正しさを表明するのは良い。だけど、相手に向かってナイフみたいにブッ刺すのはどうなんでしょうかね。
人生は選択の連続だ。自分のためが勿論前提なんだけど、社会生活を送る以上、他人の存在も考慮しての選択になる。
さっき書いたイケすかない奴等の行動に対する嫌悪感は、自己保身のためが丸見えだからなんだよな。なんだか、ヘドロみたいに見えるんだよな。
正しいってのは、絶対的ではない。流動的だし、相対的だ。コロナに関しては、結果論しかないからこそ、
正しさの危うさ
を考慮して生きていきたいな。
できれば、ここまできたら感染しないで過ごしたいな。
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