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生後まもない生きづらさ │ 儀礼と統合

いつからか覚えていないけれど、気づけば生きづらさがありました。

楽しい瞬間があっても、過ぎれば、重たい虚無感が襲ってきます。

幼い頃からあったのか、それとも思春期から生じてきたのか。

あなたは生きづらさの起源を求めることを諦めました。

あなたが選択する言葉は、一方的に与えられ、空間の振る舞いもあなたが選択したものではありませんでした。

気づけば習慣はできあがり、あなたは完成していたのです。

儀礼の力

あなたの食べ方、着こなし方、歩き方、話し方、あらゆる方法は、あなたが選択したものではありませんでした。

気づけばあなたは独自の方法を身に着けていました。

その独自とは、社会全体と同一視できるものであると後に知りました。

社会に儀礼が必要とされています。

それは、社会を再生産できる人間を作るためです。

いつから個人は、社会全体から切り離されたのでしょうか。

宗教の力

あなたが社会から切り離されることはありません。

あなたの言葉や欲望は社会によって影響を受けて、生成されています。

あなただけの欲望はないのです。

社会が宗教的次元を抜け出すと、そこには解放された個人が待っていると思いました。

でもそこには、解放された個人など存在することはなく、宗教を探し求める個人がいるのでした。

あなたが求めるいいねは、あなたの存在価値を証明してくれます。そのいいねは、宗教の救いではなくなんだと言うのでしょうか。

統合の力


社会はあらゆる個人を統合しようとします。そこから分裂し、逸脱しても精神病院や刑務所などあらゆる管理の施設があります。

パリのメトロでの犯罪をテーマにしたドキュメンタリーを見ました。昔のドキュメンタリーでしたが、そこでは監視カメラでホームのベンチや駅構内の通路ですべてが監視されていました。

労働システムから逃れたホームレスもそこでは管理されています。誰がどこのベンチで寝ているか、どの不良グループが持ち物を奪い去ろうとしているか。

社会には完全なる放棄はありません。それは救いがあるということではなく、放棄さえも含む統合社会があるということを示していました。

生後まもない生きづらさはあなたの死まで続くことになるのです。


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