02 教員生活との両立

 さて前回の続きですが、6年生を担任し、間も無く卒業という時に妊娠しました。
無責任だと思う方もいるかもしれませんが、妊娠がこんなにも大変なものだとも思わずに、「いつか授かれたら嬉しいなぁ」なんで考えていました。そして、タイミングに関してもきっと無責任だと思う方もいると思います。
 
 大好きな子供達と、スーパーマンのような隣のクラスの先輩先生に支えられ、結論、何とか卒業式には出られました。つわりがひどく、ペットボトルにカバーをつけて唾を出しながら授業をしたり、休み時間には唾を吸収してくれるカスカスのパンを隠れて食べたり、何度もトイレに駆け込んだりしました。子供達も、周りの先生も最後まで応援してくれました。
 最後までと言ったのは、卒業式まえのひと月、お休みをもらいました。本当に申し訳ない気持ちで心は押しつぶされました。でも、我が子は母親しか守れないから!勇気を持って休んで欲しい!と、職場の同僚、保護者、そして家族から言われ、ハッとしました。
 切迫流産と診断され、ようやくお休みをもらい安静に過ごす日々が始まりました。
 考えるのは、クラスの子どもたちのこと、そして我が子の命。自分はどうしたらよかったのかと押しつぶされそうになりながら、終わらないつわりに耐えていました。

 このときから、私の心の中で、大切なものを天秤にかけられないと思い始めていたのかもしれません。そして、天秤にかけることをしては行けないと自分を責め、心の元気がどんどん無くなっていきました。

 次に私が行けたのは、卒業式当日。体育館の外には、万が一に備えて自分の母親が待機していました。ひとつきいなかった私を、温かく涙と笑顔で迎えてくれた子供達と同僚、保護者には感謝しかありません。
 卒業証書授与のために、呼名を始めました。(この呼名についてもひとネタあるのでまたいつか聞いてください。)呼名をしている間も、隣のクラスの先生が私の背後に立ちいつ倒れてもいいように待機してくれていました。
 呼名が終わると、すぐ後ろの扉を開けて嘔吐。本当に申し訳ないくらい、たくさんの先生に心配とご迷惑と温かすぎる配慮をしていただき、なんとか卒業式を終えました。
 そしてまた、帰宅して、安静の生活が始まります。この時の私は、心も体もボロボロになり、どんどん痩せていきました。
 とても辛かったことを思い出します。

この頃からの葛藤が今に至るのではと、書きながら思っております。また明日続きを書いてみよう。
PCではなく、携帯で書いて見たら、ちょっと読みづらくなったかもしれません。すみません。
明日はpcで書きます!


余談ですが
その卒業生が、先日の退職の日にみんなで会いにきてくれました。私の行きつけの飲み屋でバイトし始めてくれた子もいます。
本当に幸せなご縁に感謝します。

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