義姉の名前「優子」に、人としての強さをしる。
義姉の名前は「優子」です。私達は優子さんと呼んでます。
「オ義姉サン」ではなく、「優子さん」です。
それは、次兄の嫁が長男の嫁より1才年上で、お互いを名前で呼び合っていたからです。
長男嫁の優子さんは、長男義兄さんよりずいぶん年下で、優子さんが22才の時に結婚しました。
優子さん自体は、9人姉弟の末っ子です。年の離れた長女姉さん、年の離れた長男兄さん、その下に続く姉さん達と兄さん達、大人になって、結婚しても交流を続けている仲良し姉弟の中で育ったようです。
そんな優子さんが、若いうちに、長男の嫁になりました。もちろん実のお兄さんやお姉さん、お兄さんのお嫁さんも加わって、若い長男嫁になった優子さんの手助けを積極的にやったのでしょう。いろいろな相談にものってあげたに違いません。
私が嫁いだ時は、すでに長男、次男、長女が結婚して子供もいて(私からは甥、姪)もいました。
私は、一番下の三男の嫁として入ったのです。
兄弟の交流を大切にする優子さんは、婚家の年中行事には、各兄弟家庭に連絡をして、義父母と過ごすように努めてました。
結婚当初、私にはそれが少し煩わしく感じる時もあったのです。
その優子さんに、外孫が生まれました。女の子です。小さく生まれて保育器の中にいました。面会もままならなかったようです。
その時も優子さんは、悲しい顔は見せる事なく、病院での様子を気丈に話していました。内心はすごく心配していたと思います。その子はその後、小柄ではありますが、何事もなくすくすくと成長しました。
しばらくして、その下に男の子の孫が生まれました。長男兄さんにとっては念願の男の子です。私達姉弟もとても喜んで出産を待ってました。
出産前からお兄さん夫婦には、わかっていたかもしれませんが、生まれたその子は、体重がものすごく軽く、障害を持ってました。
それでも、私達は、優子さんの悲しい顔をみた事がありません。私達のほうが、衝撃を受けて、何も言えずにいました。何と言葉をかけてあげればいいかわからない間に、その子の症状について詳しく話してくれる様子に私は驚かされました。
なんて、強い人だ!と。
同情をかうわけでもなく、落ち込む様子を見せる事もなく、積極的に孫の世話をして、娘夫婦を助けてました。外に連れ出せるようになると、大勢の人が集まる場所にも連れてきて、その子を皆に紹介し、その子の興味をもっている事、出来るようになった事を笑顔で話してくれるのです。
今は、当り前のように、その子の症状を皆が受け入れてます。普通の子の話をするように、自然に会話になるのです。だれも「可哀そうな子」という感じでは見ないです。
その子の側で、優子さんが、明るく笑顔で、その子の成長の様子を話しているからです。手がかかる事はたくさんあると思いますが、お義兄さん夫婦が揃って、娘夫婦の子育てのサポートをしている様子に「幸せな子なんだなあ」と私は思いました。
きっと、彼は、周りの人から受けた愛情の中で育って、きっとたくさんの愛がわかる人になるでしょう。そうなってほしい、そうなるのではと思います。
私は、この優子さんの強さはどのように培わされてきたかはわかりません。
ただ、優子さん自身も、たくさんの姉弟の中で、愛されて育ってきたのを知っているだけです。
優子さんの「優」という字が私は好きです。
今日はここまでにします。
見に来ていただき、ありがとうございました。