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沖縄シーミー(清明祭)に思う。
4月はシーミーの月
今月は沖縄では、シーミー(お墓参り)があります。
清明祭とも言われ、門中墓に一族が集まり、各世帯が持ち寄ったごちそうやお花をお墓にお供えし、その後、親戚一同でお供えした料理を食べます。
なかなか会えない親戚やいとこ達に会えます。
大人は近況報告をし、小さな子供達は同じ年ごろの親戚とわいわいと遊びまわったりできます。
先祖崇拝は沖縄では当たり前で、私も親に言われるがままに墓前で食事をしていました。
他県の人からみれば、異様な光景に見えるようですね、
大人になって、そうかもしれないと思いましたよ。
私の生まれた中部では4月の墓参りが主流でした。
嫁ぎ先では、十六日が大きい。
結婚後、嫁ぎ先では、ご先祖様の墓参りは一月の十六日/あの世のお正月。旧暦で通常行うようですが、義父母の北部では新暦でありました。
お正月をみんなで祝ったあと、十六日(ジュウロクニチー)を側近の日曜日にやる予定をたてます。
嫁ぎ先ではジュウロクニチーが盛大で、北部まで、各家族がごちそうを持って、門中のお墓に向かいます。
そうです、ピクニックです。義父母が暮らした地域で孫たちが遊んだりします。
その代わりに、シーミーには親戚は集まりません。
父の初シーミー(墓参り)
今年は、実父が亡くなって、三回忌があけました。
初めての、父のお墓参りになります。
米寿(八十八才)の地域でのお祝いの前に入院した父。
市から頂いたお祝いの盾を誇らしげに持ってる父親の写真があります。
その日を楽しみにしていたんだと、今になってわかります。
怒られた記憶が多い父でしたので、父の嬉しそうな顔はあまり見た事がなかった。
喜んでもらえる存在ではないんだと思ってました。
今になって思えば、大家族を守ってきた父でしたので、喜びそうな事をなんでも考えてあげればよかったと悔みます。
子供の頃の思い出
幼い頃、思い出せば、シーミーの時期に、準備が遅いと母親を怒鳴っている父がいました。
家の事は母親任せでしたので、仕事一筋の父は育児、家事の大変さはしりませんでした。
やさしさを感じられない父に、母も反発してましたので、この時期、私達子供にとっては、大切な行事の認識はなかったのです。
口下手な父でしたので、シーミーも形式的なものになり、成長してから、家にいても、お墓にいかない事もありました。
その時の父の様子に、今は「悪いことしたな」と思うのです。
父の時代
シーミーもお盆もそうですが、この時期になると、親戚が門中に集まってきます。
お盆は仏壇でのお供えが基本です。親戚が仏壇の前で拝んだ(沖縄では「ウートートー」)したあと、食事をします。
父は次男でしたが、長男が戦死したので、家には仏壇があり、祖母と一緒に暮らしていました。
親戚がくるので、父も母もいろいろ準備をします。料理の買い出しにでたり、家の中を綺麗にしたりです。
父は、お盆とシーミーは大切にしていたようです。
今思えば、そうなのですが、この時期、父も母もピリピリしているので、子供ながらに、あまり楽しい記憶がないのです。
怒りっぽい父親と忙しくしている母親でいつも言い合いになる時期なのです。
他はしりませんが、我が家ではそうでした。
父としては、ご先祖様を供養して、大切に思う事で、子孫を守っていただいているという事だったのでしょう。
大人になって、わかってきました。
大人になって解るもの。
人生、何があるかわからないもの、乗り越えられない苦難にあった時、せめてもの救いは、祈ることだけかもしれません。
神様でも、御先祖様でもいい、心を込めて祈る事。墓前に手を合わせる行為は、決して無駄ではなく、人間が何ももたずにそのままで出来る事。
墓前では、父に感謝の気持ちと、これからの願いを伝えていきたいと思います。
今日は晴れです、来週のシーミーの日も晴れますように。
終わりにします。
素敵な一日をお過ごし下さい。