評価をするなら金をくれ!?
「芸術家はお金の話をしてはいけない」という雰囲気が、21世紀になった今でも社会に流れています。それは汚いことだと。確かに、芸術家は芸術の神様に仕える僕のようなイメージがあります。でも、著名な画家は(著名でなくても)画商に絵を売って生活していたわけですし、小説家は原稿料と印税で生活しているわけです。むしろ、それだけで生活できるようになってはじめて、知名度が上がり名声を得るということになります。売れない画家がいくら自分で「俺は画家だ!」と叫んでも、社会の大部分はそうとは認めてはくれません。せいぜい「絵描き」だと思ってもらえるのが関の山です。画家も絵描きも絵を描きます。でも、僕が思うに、絵描きはただ絵を描くことに喜びを見出し、自分の描きたい絵を優先します。対して画家は、絵を描くことに喜びを感じるのは勿論ですが、同時に苦悩を感じ、かつ、他人の要請で、他人が望む絵も描きます。そして、その対価をもらいます。
これはどの分野の芸術でも同じだと思うのです。そして、そこに上下の区別はないと思います。文芸誌に連載を持っている小説家より、バラエティ番組の放送作家の方が下だなどと誰が言えるでしょうか。放送作家だって、単価は安いと思いますが1本いくらで書いています。趣味で文学的な小説を書いていて、友達に読んでもらって満足している人より、よほど「作家」と呼ぶに相応わしいと思います。
僕は小さな劇場で演劇をやっていますが、当然これでお金を稼ぎたいと考えています。それは商業演劇じゃないのかと言う人がいるかも知れません。もの凄く広い意味ではそうだといえるでしょう。芸術的に優れた舞台を作り出す人は「芸術家」として尊敬されるのですが、お金のために大衆受けするものを書く人は蔑まれる傾向にあります。しかし、喜ばせている人の数や動くお金=経済効果を考えてみて下さい。芸術性だけを考えて、または自分の世界観を形にすることだけを重視して、お金は二の次、三の次だと思っている人は、本当の意味で「芸術家」といえるのでしょうか。上記の「画家」と「絵描き」の違いを思い出してみて下さい。実験的・前衛的な舞台を作っている劇作家・演出家と、劇団☆新感線の舞台では、芸術性の違いで優劣をつけることはできるでしょうか。(僕自身は、新感線は実はあまり好きではないのですが。)
僕が集客のことを重視してキャスティングし始めたことに対して批判的な人もおそらくいると思います。また、作風をかなりエンタメに寄せたことに対しての批判もあります。はっきり言いましょう。お金のためです。ただ、度々書いている野田秀樹さんのように、ご自分の世界観を崩さずに商業的にも芸術的にも成功を収めている人もいます。それに、お金のためだけを考えるなら、演劇などという一番金儲けから遠いメディアを選ぶわけはありません。僕にも独自の世界観はありますし、それを表現したいという思いもあります。が、同時にそれをどうしたら商業的な成功に繋げられるかと、かなり真剣に考えているのです。その結果、アイドルさん中心の座組になったり、ダンスや歌を入れたりしているわけです。しかも、僕自身それは嫌いではありません。だから、ベテランの舞監さんが毎回驚くくらい、小劇場ではありえない数の照明を吊ったりしているのです。
とにかく、「芸術に関わる人がお金の話をするのは汚い」という考え方は間違っていると多くの人に気付いて欲しいです。それは「芸術家は貧乏で当然」という考え方の裏返しです。そして、人々の芸術に対しての無理解の表れです。芸術は社会的・経済的に何の貢献もしていないという明らかな「誤解」が、世間の人々にはあります。確かに、芸術は生活必需品ではありません。しかし本当に不要なものなら、何故存在し続けているのでしょうか。音楽や図工(美術)は何故学校の教科にあるのでしょうか。この経済重視の世の中で、芸大は何故潰されないのでしょうか。書店が潰れても書籍自体は完全にこの世から消えてなくならないのはどう説明しますか。そして、芸術の存続には、間違いなくお金が必要なのです。有名な芸術家には必ずパトロンがいましたよね。
僕はお金に魂を売ってはいません。でも、作品は売りたいです。そして、多くの人に「この人の作品は、お金を出す価値がある」と思われたいです。最終的には商業演劇のレベルまでいきたいですが、手始めに、「演劇でお金を稼ぐことは本当にできるんだよ」という足元から固めていけるように、今後はよりはっきりとその方向に動いていきます。
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