「癌」になって、考えたこと、感じたこと(0)
〜我が癌の記、その0、「序章」〜
私は、2022年の夏に食道癌が見つかった。その後、治療を受け、現在に至っている。診断が確定してから一年が経過した。
癌は人がよく罹るありふれた病気だし、私の癌が特別なものだったわけではない。また、私は医師や医療ジャーナリストのような医療の専門家ではないし、特別な治療によって癌がすっきり治ったというような体験を持っているわけでもない。
だが、癌についてネットに記事を書いてみると意外なくらいよく読まれるし、時には、癌について話して欲しいという趣旨の取材依頼が来る。本稿の切っ掛けになった取材もその一つだった。ある媒体から、5本立てで記事を載せたいというリクエストがあった。過去に取材を受けたことがある信頼している記者さんからの連絡だったので快諾した。自分で話をまとめるよりも、取材して記事にして貰う方が楽だ、と思った。
記者が送ってきた取材の構成案は、少々情緒的で甘いように思ったので、以下のような構成案を改めて送った。
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【山崎が送った構成案】
記事5本でワンセットなら以下の構成でどうでしょうか。
(1)発病に至る経緯と検査のコスト分析
・いつ癌と分かったか
・検査は日頃受けていたか(NO)
・症状が出てから処置でいいのか(→コスト高)
・近藤誠さんの理論に関して
・酒と食道癌
・酒について今思うこと
(2)癌の情報収集と治療方針の決定を巡る問題
・信頼できる情報をどこで見つけるか
・情報源を絞り込むことの重要性
・情報には根拠と判断時間が必要
・判断には後悔するかも知れない精神的な負荷がある
・癌患者に親切にしないで下さい!(人は癌患者への親切を我慢できない)
・治療方針をどう納得するか
(3)癌治療の費用とがん保険
・日本の健康保険は強力だ
・贅沢費を除くと十数万円
・個室(一日4万円の損得勘定)
・貯金で済む問題に保険は要らない
・がん保険は不要だった
・「事前」と「事後」を区別せよ。できないバカはカモになる
(4)癌になって見えてくる人生の風景
・過去は気にならない(サンクコストだから)
・自分が「残すもの」は少し気になる
・時間と体力の制約が仕事や人を選ぶ
・坊主頭になって気づいた常日頃の無駄
(5)再発・ステージⅣで思うこと
・再発をどう知ったか、どう感じたか
・いきなりの「持ち時間」短縮
・「予想」と「希望」を混ぜないことの重要性
・ドライな予想の下に行動計画を考える(あと半年ならどうする?)
・治癒・寛解・延命の希望を捨てる必要はない
・希望が予想に混じると計画が乱れる
・「治す」よりも「悪化しない時間」をどう伸ばすか(癌との共存)
・癌は自分の時間が良く見えるので付き合いにくい病気ではない
・毎日楽しみを持って上機嫌に
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我ながら、まあまあの構成案だと思った。取材を受ける立場の準備としては行き届いた方ではないか、と少々自賛しつつ取材を待った。
取材の日には、カメラマンと記者が現れた。はじめにまとめて写真を撮って、それから2時間半くらい話をした。
以上は、2か月以上前の出来事だ。しかし、記事は発表される気配がない。記者からの連絡もない。写真を別途撮っているし、ボツになるような性質の内容でもない(特定のスポンサーが絡むわけではない)ので、不思議に思うのだが、ともかく記事は出ない。
取材を受けた立場としては「いったい、どうなっているのだ」と抗議してもいいのだが、今回は、そうまでしたくない理由がある。私は今怒っていないし、読者もまだ怒らないで欲しい。
しかし、せっかく準備した話題なので、それぞれの回について伝えようと考えたことを、構成案通りに5回に亘ってnoteに書くことにしようと思う。予定されていた記事が掲載された場合には、これから書こうとしている私の文章はその補足になるだろう。
問題の記事が出ない理由については、今後各文章のいずれかの回に私の推測を書くことにする。
冒頭にも書いたように、私は医療が専門ではない。これから書く癌の話は、特定の治療方法を勧めたり、癌に関わる知識についてお伝えしようとするものではない。癌について調べる必要がある人、治療方法を検討しなければならない人が読者の中にあれば、改めて独自に情報収集してご自身で判断して欲しい。この点は、毎回注記すべきなのかも知れないが、ここでまとめて申し上げておく。
主にお伝えしたいことは、癌という病気を自分の条件とした時に、私が何を考えたのかということになる。