創業期に目指していたことや思い
※(前の記事)OKWAVEとのきっかけ
2000年3月に開設した初のオフィスは、渋谷、ワハハ本舗の2階にある木造の建物の10坪ほどのスペース。坪単価は破格の1万円程度でした。
私はOKWAVEの中で、様々なポジションを担ってきました。ざっと、下記のとおりです。
経営企画室長として、事業計画の策定と資金調達
営業の責任者として、法人顧客の拡大
上場準備~上場後(内部監査室長やIR担当)
記憶があいまいなところもあるのですが、自分が行ってきたことを振り返りたいと思います。
1.経営企画室長として、事業計画の策定と資金調達
OKWAVEは1999年7月に、資本金300万円の有限会社として設立されました。その後、2000年2月~12月にかけて、楽天やサイバーエージェント、インプレス、トラベルコを運営するオープンドア、ドスパラのサードウェーブなどから資金調達を行います。下記が一番最初に兼元さんと私で作った事業計画書など。
「Q&Aコミュニティのユーザーに株主として支えられる会社にしたい」という思いから上場を目指したこともあって、当初は2001年に赤字でのスピード上場を目指すような、今振り返ると無謀ともいえるものでしたが、これが原点でもあります。また、当時からWeb3.0の思想をもっていたと、改めて感じます。
こののちの事業計画書などは、プロマネは私が行いつつ、文章部分を福田さん、数字部分を野崎さん中心に作成。まとめられたものを持って、兼元さんと私とで投資家を回り出資のお願いをする、ということが多かったです。
2.営業の責任者として、法人顧客の拡大
(1)ソリューション事業の立ち上げ
後に PKSHA Technology に売却をされるソリューション事業(法人向けのSaaSビジネス)の、立ち上げを行いました。
この事業立ち上げのきっかけとなったのは、2000年、音楽のヤマハさんから「顧客とのサポート対応で、OKWAVEのQ&Aコミュニティの仕組みを使いたい」というもの。
当時、C2CのQ&Aコミュニティの事業を中心に収益化していくことの困難さを感じ始めている頃でした。事業計画書の記載にもあるように、広告収入、EC、知識交換、専門家のコーディネート、人材紹介・・・、と様々な事業の模索と同時に可能性も感じていましたが、どれも「不確実性が高いものに多額の資金を投入して勝負する」といった側面が大きく、ネットビジネスっぽいとも言えなくもないのですが、もっと、「自分たちの努力で着実に収益を上げていくようなビジネスモデルを作れないか」ということを考えていました。
そして、NCネットワークに対しても技術の森のシステムの提供を検討していたこともあり、
法人向けに、インターネットを通じてソフトウェアを提供するというビジネスは可能性があるのではないか
ということを考え、事業化することにしました。
当時、ソフトウェアの提供と言えばパッケージ売り、システムの導入が一般的で、SaaSのビジネスを行って成功し始めていたのはスケジュール管理ソフトのサイボウズぐらい。ASP(Application Service Provider)という言葉が使われ始めたころで、しかも、単価は月額数万円ほどという安価なものばかりでした。しかしこの単価では、収益的に見合わない。
そこで、企業のサポートセンター向けソフトウェアを本格的に開発。2000年の年末ぐらいから、サポートセンターの業務に精通していたユナイトアンドグロウの須田さんにも相談し、2001年正月に兼元さんと私で最初の仕様を作り上げて生まれたのが「Quick-A」というSaaSプロダクト。
その中で、経営会議の中で徹底的に議論した結果、単価を「月額基本料金30万円+5万PVごとの従量課金」に設定。根拠は「導入企業は、人件費をそれだけ削減できるから」というものでした。この価格帯のSaaSは、おそらく日本初だったと思っています。そして、この単価設定をしたうえで、戦略的に導入先企業への営業アプローチをしていったことが、OKWAVEの収益基盤を確固たるものにしていきました。
ヤマハさんを皮切りに、ソニー、パナソニック、JAL、NTTデータ、東京ガス、トレンドマイクロ、NEC、第一生命・・・、思い出深い企業がたくさんありますが、2006年の上場時には150社以上の企業に導入されるまでになりました。
(2)Q&Aコミュニティの連携先(ポータル・プラットフォーム事業)の拡大
ソリューション事業の立ち上げを行い、単月黒字化できたところで次に行ったのが、Q&Aコミュニティを軸としたポータル事業(プラットフォーム事業)のテコ入れ・収益化でした。私がWebマスターとなって日々Q&Aコミュニティの改善に取り組んだことに加えて行ったことが収益化です。
当時、OKWAVEコミュニティは「教えて!goo」と連携をしていましたが、Yahoo!知恵袋が立ち上がり成長をしてきており、Q&Aサイトの規模拡大と収益化が急務の状況でした。
(余談:Yahoo!からの買収提案)
確か2004年だったと記憶していますが、Yahoo!知恵袋立ち上げの前に、Yahoo!からOKWAVEに買収提案がありました。この時はとっても悩みましたが、当時の取締役である兼元、福田、野崎、私+αのメンバーで検討した結果、
自分たちが行いたいのはQ&Aコミュニティの運営サービスではなく、「デスクトップとネットワークを通じて人がつながり、知識や経験がシェアされている世界」を創りたい
と考え、買収提案をお断りしました。
そのような状況下、ポータル事業収益化についての基本戦略も、B(法人)から利用料をいただくというものでした。この戦略をとったのは、
Yahoo!に対抗するために、OKWAVEコミュニティと連携したオープンな「OKWAVE連合」をつくることで、規模の拡大を目指す
連携先から利用料をいただくことで、収益化する
という理由からです。
この中で特に力を入れたのが、カスタマーサポートセンター向けに、『ユーザー同士が問題解決することでサポートセンターの問い合わせを減らすソリューション』の提案をすることでした。このサービスを「サポートスルー」とネーミングし、ソリューション事業のQuick-Aと共に営業展開をします。この中で思い出深いクライアントはトレンドマイクロです。同社はカスタマーサポートの質の向上に取り組む先進的な企業なのですが、カスタマーサポートにとどまらず「ファンづくり」ということにまで意識を向けていて、OKWAVEにとってはクライアントでもありながら、サポートスルーのサービスを一緒に創ってきた仲間ともいえる企業でした。
※トレンドマイクロとはその後、音声Q&Aサービスの開発なども一緒に行います。
結果、ポータル事業の連携先も2006年の上場時には連携サイトは40社を超え、現在OKWAVEが提供する「OKWAVE Plus」というサービスの礎となっています。
3.上場準備~上場後
2006年6月20日、OKWAVEはセントレックス(現:名証ネクスト)に上場します。なぜ東証ではなく名証を選んだのかということにはいくつか理由がありますが、当時はやむにやまれない事情と、戦略的選択という両方がありました。
ポータル事業の責任者を行いながら、経営企画を兼任して上場前後で行ったのが、内部監査室長とIR担当でした。
両方ともに野崎さんと連携しながら進めましたが、野崎さんは主に経理を中心とした管理部門の組織と開示の体制づくり、私は機関投資家含む株主向けの資料作りと問い合わせ対応、機関投資家回りなどを行いました。
当時の資料が手元にありますので公開します。まずは上場直前のブックビルディング期間に、機関投資家を回るロードショーの時に使用した資料。当時OKWAVEは、「初のWeb2.0 上場銘柄」として注目されており、それを意識したものになっています。
こちら、上場後の開示資料として作ったもの。当時、開示資料を分かりやすいハイライト資料として作成している企業は少数でした。
最後に、こちらは上場後1年間のIRを総括して、2007年7月に作成した社内共有資料。当時、残念ながら株価は上場時の公募価額を割り込んでいたため、IRの責任者として株価と向き合うために作成した資料です。私の中では、株主のみなさんとの向き合い方について、当時と今も変わりありません。
次回は、なぜ私が株主提案を行おうと思ったかについて書きたいと思います。