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0012 あなたの物語は誰のもの?──詐欺と陰謀論から考える“手綱”の重要性

物語には、孤独を感じたときに支えになってくれる力があると思っています。一方で「物語はうまく乗りこなせないと、かえって振り回される場合がある」とも考えています。

これまでにいろいろと書いてきたエッセイや小説には、私自身の世界の見方や考え方が込められています。

私の内面世界を言語化して物語という形にすることで、他者と共有する。

わざわざ労力をかけて小説やエッセイを載せているのも、物語によって読んだ人の世界の見方が変わり役に立つのではないかという思いがあるからです。

ただ、あくまで物語は「利用してほしい」と思っています。つまり読者自身が主、物語は従という関係性が望ましいと考えています。

ときに主従が逆転して、物語が自分自身を支配してしまうことがある。このことについて「物語の手綱を握る」というイメージでお話できればと思います。

物語の手綱

物語は、新しい場所へと連れて行き、自分が見ている世界の景色を変えてくれる馬のような存在だと感じています。

だからこそ自分自身で物語の「手綱」をしっかり握らないと、あらぬ方向へと向かってしまいます。物語は他人に利用されたり、勝手に暴れ出してしまうことがあるからです。

たとえば詐欺師は、相手に「つながり」を感じさせるような物語を巧みに作り出します。とても優しく接したり、親身になったかのように振る舞います。最終的には金銭をだまし取ることが目的ですが、そのために「つながり」という物語を利用します。

だから、だまされていると気づくまでは詐欺師がとても信頼できる人物に見えることも多いんです。ときには周りの人がいくら注意しても耳を貸さないほど、強固なつながりができあがってしまうこともあります。

詐欺師にだまされている状態は、他人が自分の物語の手綱を握っている状態だといえます。相手が得をする景色の見える場所へと誘導される。物語の手綱を握られるということは、このようなリスクがあります。そのため私たちは自分の手に手綱を取り戻す必要があります。

ただ自分が手綱を握っていれば安心というわけでもありません。

ときには物語が暴れ出して、自分の手綱さばきではコントロールできなくなる場合もあります。

これは、たとえば陰謀論にはまってしまうケースが当てはまります。陰謀論は、断片的な情報を自分の中でつなげ合わせ物語となったときに生まれます。

そこには曲解や拡大解釈も入り、関連のない事実までもが結びつけられています。それにも関わらず、物語として形を成してしまうと、納得感が生まれ自分の中から追い出すことが難しくなります。

陰謀論を信じることで、過激な行動を起こしてしまったり、世界を疑いの目で見て不安やストレスを抱えたりする場合があります。

このような状態は、物語に振り回されている状態だといえるでしょう。陰謀論は自分で作った物語であるにも関わらず、自分自身を蝕んでいきます。手綱は自分の手にあるかもしれませんが、制御は十分にできていないということになります。

物語を乗りこなすには

物語の手綱を自分の手で握り、制御するためには「創造性」が必要だと考えています。物語によってどんな景色を見たいのか。どの道を通ってそこへたどり着きたいのか。そして、自分はどういった物語なら制御しやすいのか。

そうしたことを理解したうえで、乗りこなしやすい物語を選んでいく。

これらは自分自身の内側から生まれてくるものなので、他人が答えを出すことはできません。自分で考え、答えを見つけ出す必要があります。

創造性というと、創作やビジネスで必要とされるスキルというイメージがあるかもしれません。でも私は、こういう自分の生き方など、もっと根本的なところでこそ発揮されるべきスキルだと思っています。

自分が最終的にたどり着きたい地点はどこなのか。そのために物語をどう制御すればいいのか。そこに創造性を注ぐ必要がある。

仕事や創作だけでなく、自分の人生そのものを形作っていくことこそが、文字通り創造的な行為なのではないでしょうか。

自分自身の人生。でも、全部を自分で作る必要はない

ここで注意したいのは、「自分の人生を自分で構築する」と考えたときに、何もかもひとりでやろうとしすぎないことです。物語は非常に強力な存在で、手綱さばきも最初は思ったようにいかないものです。

だからこそ、他人の物語から、手綱さばきを積極的に参考にしてみるといいと思います。

先人たちは物語の力をどう使ってきたのか。どんな景色を求めて、そのためにどのような物語を活用したのか。逆に、物語をうまく扱えなかったことで振り回された人は、どんな問題に直面したのか。

そういった事例を知り、自分の物語に取り入れられそうなものがあれば、どんどん受け入れた方がいいと思います。世の中には、自分が生み出した物語を共有してくれる人が大勢いますから、うまく参考にすると良いでしょう。

人が作った物語を取り入れるから人類は繁栄した

科学の世界には「巨人の肩の上に立つ」という言葉があります。これは、先人の研究成果を受け継ぎながら仕事をする、という意味です。科学が発展してきたのは、過去の研究を共有してきたからですよね。

現代の私たちは、ニュートンが発見した物理法則をゼロから研究し直す必要はありません。すでにある知識を学び、それを土台にして新しい研究を積み重ねていくわけです。

物語についても同じように、ほかの人が残してくれたものをうまく活用しながら、自分の物語を制御する方法を考えていくといいのではないでしょうか。

具体的には、自分と考えが似ている他人の物語があれば、その物語を採用する。しかし当然、自分とは違う人の物語なので、時代や環境で異なる部分がある。そこを今の自分に合わせてカスタマイズする。

この部分には創造性が必要で労力がかかります。しかし、ここに主体性を発揮しないで盲目的に採用すると前述した詐欺や陰謀論にはまるリスクが生まれます。

あくまで自分自身が主人として、物語と付き合っていく。物語に違和感を覚えたら、その部分を探って修正していく。そのようにして、自分なりの物語を作っていくのです。

こういった思考には頭を使いますし、エネルギーも必要です。ですから、できれば心に余裕があるときに取り組むのがおすすめです。疲れていれば乗馬がうまくできないように、余裕がないと、どうしても物語に振り回されやすくなってしまいます。

なお、睡眠を軸に心の余裕をつくりつつ自分の物語を探る方法も紹介しているので、興味があればそちらも読んでみてください。


「自分に合う物語」はどこかに残っている

もし、どこを探しても自分にしっくりくる物語が見つからないのであれば、いっそ一から考えてみるのも手です。でも、そんなケースはそう多くはないと思っています。

なぜなら古今東西、あらゆる媒体で人は物語を共有してきましたし、多くの物語が今も残っているからです。歴史の風雪に耐えて残っている物語にまで目を向ければ、必ず何か自分に合うものがあるんじゃないでしょうか。

そうして誰かの物語をベースに、自分の物語を構築していく。それだけでも、人は誰かとのつながりを感じられるようになるのではないでしょうか。

「先人たちが残した物語と今の自分につながりが生まれる」

この物語をうまく自分のものにできれば、そもそも孤独という概念は存在しなくなるのではないでしょうか。

今の私は、この物語が根付いています。だからこそエッセイや小説をこうやって残しているのかもしれません。

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一昌平
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