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日本の子どもたちと性

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/mob/News.aspx?news_id=000000000260

性教育の現状と日本人のモラル

日本は情報化社会になり、子どもと大人の世界が混沌と混じりあうようになって久しい。そんな中、幼児ポルノやロリコン・援助交際という言葉が日常生活で飛び交うようになっている。
子どもたちもネットを通じて性情報と簡単にアクセスできるようになった。いかがわしい、教えたくない、見られたくない情報ほど子どもにとっては興味津々なのだ。
ネット検索に何か言葉を入力すると多くのポルノサイトに行き着く。ポルノを見るため検索したわけではないのに行き着くのだ。ネットの怖さを知らない子どもほど簡単に行き着いてしまう。
コンビニもまたしかり。必要な買い物だけをしていては気付かないが、少年や少女向けの週間マンガ本、ファッション雑誌を手に取ってみよう。表紙だけ見ていると無害な雑誌に見えるが、手に取ってみると、あちこちにポルノ的な表現がみえて驚かされる。かわいらしい表紙から大人は気付かないだけなのだ。
こんな風に日本の子どもたちは今や先進国一のポルノ情報にさらされている。日本の子どもたちは発展途上国の子どもたちのように生活のために性を売ることはない。興味本位で性情報(ポルノ雑誌・AVビデオ)を買ったり、遊びで自分の性を売ったりする国になっているのだ。
子どもたちの性行動を統計的にみると※①高校生女子の性交経験が4割。20代前半までに性交経験をしている人は※②セックスパートナーが複数にのぼるという結果が出ている。そんな現状の中で、日本の若い女性の※③性感染症羅漢率、妊娠・中絶が非常に高くなっている。

こうした社会状況に反して、性教育はここ3年くらいの間に大きく後退している。※④一部政治家の介入により、教師への性教育バッシングが行われた結果、学校教育で子どもたちが性に関する正しい情報を得る機会を奪ってしまった。
今までも日本は性教育の後進国であり、決められたカリキュラムもなく、教師まかせだったが一部の先生たちの指導案や手作り教材によって、細々と続けられてきた。しかし※⑤2002年「ラブ&ボディBOOK」という中学生向けの性教育冊子が"行き過ぎ"と評され回収、それ以降性教育バッシングが国会や地方議会で盛んに行われるようになった。東京都では都教委がいち早く各学校に性教育の教材をリストアップさせ、使用禁止になったものも数多い。
「寝た子を起こすな」「赤ちゃんは『コウノトリが運んできた』と教える方が夢があってよい」など時代錯誤も甚だしい一部の大人達によって、今日本の性教育は壊滅状態となっている。

子どもが最初に性に興味を抱くのは3才くらいの幼児期から5・6才までの間。彼らは大人のような猥褻な感情を持って興味を示しているのではなく、自分がどこから来たのかルーツとしての性に興味を持つ。そのことを科学的に知りたがっている。また思春期になった子どもたちは、これから「産む性・産ませる性」を持つことを学習していかなければならない。
それを語る言葉を持たない大人が、はぐらかし、※⑥「小学校時代も中学校時代も、性教育なんて受けたことはありません。しかし、こういうのは自然に何となく覚えていくもので…」などと豪語してよいのであろうか? 本当に日本の大人は学ばなかったが、しっかりとした大人になっているのか? 日本人は世界でも「児童買春」や※⑦「幼児ポルノ」の発信地としてひんしゅくを買っているのが現状。これでどうしてちゃんと育ったといえるのか。
子は親を見て育つと言われるが、性に関して日本の大人はとても良いお手本を示しているとは思えない。これは他の先進国が性教育に50年60年と取り組んできてその成果を上げているのに対し、日本では「いやよいやよも、いいのうち」などという下世話なシモネタ的な文化の中で男たちが学んで育ってきた。その結果幼児ポルノにはまったり、児童買春に走ったり、まさに誰にも教えてもらわなかったから招いた結果だ。

私たちは大人として、この世に生まれてきた子どもたちを性被害から守り、また「生きているってステキ!」「生まれてきて良かった」「自分も大人になったらステキな恋をしたい」と感じられるような自己肯定感を持った子どもに育って欲しい。そのためには包括的な性教育が急務ではないだろうか。

モバイル版オーマイニュース(日本版)より

投稿者は不明。社会カテゴリへ投稿されました。

この投稿はきちんと校正・校閲を行なえば普通に正式採用するに値する記事になったのではないかと思います。本文中に参考文献番号とおぼしき数字も割り振られていることから、事実確認に必要な文書も添付されていたものと思われます。

ま、投稿数に対して必要な編集者の数が圧倒的に足りなかったのは当時から知ってはいましたが、それにしてもちょっともったいないと思いました。