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遺稿 そのときどうする

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/mob/News.aspx?news_id=000000000385

大往生の前に、後にすること
8月17日09:48、三隅信雄さん(享年93)が亡くなったという知らせを受けました。三隅さんは22日に鳥越と対談してもらおうと思っていた人です。93歳のがん患者でした。ひと時しかお会いして話していません。ですが、初めての取材相手として、それ以前に人との繋がりというなかで、時間を越えた何かがあります。そんな三隅さんの死を奥様は手紙にてお知らせくださいました。以下本文ママ

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謹啓 盛夏のみぎり皆様には、ご清祥にてお過ごしのことと存じます。
さて、突然ではございますが夫、信雄が8月17日、午前9時48分に他界いたしました。
体調を崩して15日未明に入院致しました。その2日後に93歳の生涯を大往生で終えました。
ここに謹んでお知らせ申し上げますとともに、生前のお引き立て、ご厚情に対しまして有難くお礼申し上げます。

顧みますと私は、職業軍人で大陸に出征しておりました主人・三隅家の留守を預かる義母の処(富山県、旧新湊市)へ参ったのが終戦の年、晩春のことでした。
それまで主人とは話したこともなければ、逢ったこともございませんでした。
戦時下のこととは云え、今の時代では考えられない結婚でした。
幸いにも主人は戦火をかいくぐり、'46年(s.21)に復員することがかないました。
爾来60年に亘る結婚生活でした。
この間、お蔭様で2人の息子は無事成人し、それぞれに家庭を設け、都合4人の孫にも恵まれました。

亡き夫は何事にも好奇心旺盛な人でした。また人生観は「性善説」で考える人でした。
戦前の文学には詳しく、自らも文章をねったり、創ったりすることが得意でした。
亡くなる直前までテレビのニュース番組を視聴している際に、アナウンサーの方が読む原稿に対して「そのような表現はおかしい」などと、時折ぶつぶつ独り言を云っておりました。

いよいよ極めつけは、孫が主人の誕生日にお祝いの手紙をくれた時のことでした。
送り仮名や、文章表現の間違いなどを添削して、わざわざ彼女に返送しました。孫は几帳面さにあきれ「もう出さない!」と云って、ふくれていました。今となってはすべてが素晴らしく、楽しい思い出でございます。

頑強な体を持ち、スポーツはテニスが大好きでした。福井県に在住の折は、40を過ぎて大会に出場するなど活動力のある人でした。

又、65歳を過ぎたころからは、主として首都圏を中心に歴史探訪を行う「旅を楽しむ会」を主宰しました。この会は実に25年も続き、マスコミにも取り上げられるなど、会員数も多いときで300人を超える規模でした。

晩年近くになってからは、2度に亘ってがんを患いました。
このとき"この病とどう向き合ったら良いのか…"随分考えていたようです。
そして自らのがん体験を基に、がん患者の方とその家族の方々を支える会「NPO法人きずなの会」を主宰しました。

このように何事にも明るく、前向きに取り組んだ主人でした。
2つの会のとき主人を理解し、ご賛同してご協力下さった多くの方々に、本お知らせを以って、お礼に代えさせて頂きたく存じます。

ここに改めて生前賜りました、ご厚意に対しまして衷心より厚くお礼申し上げます。本当に有難うございました。
時節柄、ご自愛をご祈念致します。
謹白

追伸 生前からの夫の強い想いを、自らが書きとめた「そのときどうする」と云う、タイトルの冊子(遺言)に拠り、
イ) 遺骸は医科大学に「献体」致しました。
遺骨となって戻って参りますのは、3~4年先とのことです。
ロ) 「通夜・葬儀は行わない」で家族だけで、お別れ会を行いました。
ハ) 又、香典等のお心遣いにつきましても一切「無用に!」とのことでございました。

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彼の死に様を伝えることがどういう意味を持つのかは分かりません。ですが、三隅さんの遺言をここに載せます。本当に、生きて死んでいった人だったのではないかと思っています。

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そのときどうする
宗教・葬式

私はどちらかと言えば無神論者だと思っている。かといって頭から宗教を否定するつもりは毫(ごう)もない。子供の頃お寺の日曜学校に通って、正信偈(しょうしんげ)唱和したこともあった。また、これまでに呼んだ仏教関係の図書の影響で、私の人生観、社会観に仏教哲学的な物の見方や考え方があるのは否定できない。これからも機会があれば仏典を研究し、座禅なども組み、あるいはキリスト教の教会へ行って、牧師のお説教なども聞いてみたいとも思っている。

だからといって、神仏または超越的絶対者の存在を否定もしないし、霊などの存在も否定するものではないと思う。ましてあの世とやらにも。

人が死んでも魂は死なずにこの世の恨みのある人に悪霊となつてとり憑き、その人を悩ませる。昨今はその悪霊をとり憑くといって、偽って多額の金品を詐取する悪徳宗教家が続出している、が、精神、魂などは、尿が自然に膀胱に溜まるようなもので、人が死ねば一緒に消滅するものであると言っていいと思う。

死に際にいろいろな臨死体験をする人がいると聞く。私の家内は次男を分娩したとき出血多量で、一時昏睡状態になり、臨死体験をしたことがあった。家内によると初めは真っ暗であったが、非常に気持がよく暗闇へ吸い込まれるように感じた、しばらくするとパアッと明るくなり、空は薄青で、足下に漂う白い雲海にたたずんでいて、遠くの方に黒い島のようなものが見えたと、いう。三途の川からユーターンしたということか。
―――― 息が途絶えたあと満開の花園を歩いたとか、そこに先に亡くなった肉親が居て「お前はこんな所へ来るんじゃない」と、言われて追い返されたとか、またベッドに横たわっている自分をその部屋の天井辺りから別な自分が眺めていたとか、ということなどから死後存在するという人もいるが、私はこれは人は夢を見るのと同様に臨死に当たって。脳が特別に作用するのではないかと思われる。

仏教では善因善果、悪因悪果、善い事をすれば必ず善い報いがあると教えるが、かならずしもそうはならないのが、邪心も併せ持つはかない人の世の常である。
葬式 死体、遺骨を墓地などに納める儀式をいう。

私にそのときが来たらしなければならないことは、遺体の処置と通夜、葬儀、資産の処理と家内の生計、などであろうと思われる。これからのことについてとまどわないように、私の思いを書き残す次第。遺書とも言うべきか。

私の遺産は総て家内に贈与する。家内はその後、年金収入と預貯金で、このマンションで一人で暮らすもよし、長男か次男と同居するもよし、いずれとも思い通りにするがよい。

(1) そのときどうする。
① 遺体の処置、葬儀、通夜、告別式などはどうするか。
② 資産について。以下はそれぞれ各項参照。
③ 澄子の生計とその保険。
④ 保険調べ、その他。献体

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大往生というのでしょうか。去ることは難しく、弔うことは悲しむだけではない。さまざまな中で、こういういきかたがあったという一つの事実です。

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PC版サイトでは写真付き記事がご覧いただけます。
[PC版URL] www.ohmynews.co.jp
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モバイル版オーマイニュース(日本版)より

投稿者はおそらく編集部スタッフの誰か。投稿日はおそらく2006年8月30日。ライフカテゴリへ投稿されました。

手紙を受け取ったのはおそらく豊原富栄氏、記事番号を取得し原稿に落とし込んだのも豊原富栄だろうと思われます。午前中の雑務(編集作業他)を終え、お昼ご飯を食べてから作業を開始、13:30頃に原稿に落とし込み終えた、というところでしょうか。いただいた手紙や遺稿は先にテキスト化は済ませていたとは思います。

なぜそこまで言えるのか、そう推測できる根拠を持っているからですよw