引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000003308
「無駄」を「冗長性」と言い換えれば理解が深まるかもしれませんね。たとえばデータのバックアップなどは冗長性の最たる例ですが、大事なデータのバックアップをとらないのはデータが消失した時の損害を考えればリスクを高めるだけの行為に他ならないわけです。
聞きかじりですが、体育の水泳の授業はなくなるか縮小の方向へ動いているそうです。
無駄というよりは設備の維持が難しい面が大きそうですが、水泳の授業の後の国語の時間のものすごいけだるさ(昔の小学校にはエアコンなんてなかったw)の体感を共有できないのは、ちょっとさびしいですね。
いや、社会だったかな。あのポワ~っとした感覚しか覚えてません。