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我々の応答責任

引用元URL:http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=0000000002717

地獄に落ちろ、インターネット
O羽 S史
2006-10-28 05:30
 俺と、孫正義や鳥越俊太郎と何の関係がある?その記事にぼくが始めに感じた感想はそうであった。

 アメーバニュースに掲載された『【長文】オーマイI川記者「アメーバは大人げない」』(http://news.ameba.jp/2006/10/sp1027_5.html)の記事はオーマイニュースを批判した記事である。

 オーマイニュースにおける「ひと言」欄に関しての「議論」に(ぼくは前記事(http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000002664)で言ったとおり議論自体にネガティブなので括弧に入れさせていただく)対して冗談半分で揶揄するような内容である。
 ぼくはこの記事にやるせなさと許しがたさを感じる。ぼくの考えるオーマイニュースのあり方と合わせて論じていきたいと思う。

 まず、今この記事を読んでいる貴方にお尋ねするが、貴方はネット上で議論をしたことがあるだろうか?

 例えば、そのアメーバニュースの記事では『オーマイニュース編集部が「わしらを救ってくだせぇ! コメント欄を読むのが辛いですだ~」と陳情する市民記者に対して「甘い!」と苦言を呈さないものだから、我々が代わりに言ったのだ』と書いている。
 つまり、これは送り手に対して「甘えた態度」を許してはいけない、というある種の「作法」を示しているものだと思われる。

 しかし、この記事を読んでいる貴方はもしくは自分のブログが「炎上」した経験があるとか、炎上したブログや掲示板などを見たことがあって、こうしたときにはこうすればいい、などの「作法」を知っているかもしれない。
 強調しておきたいのは、それは「経験則」ではない、ある種のインターネット上の規律「作法」であるのだ。表情も態度も分からないメディアで、それこそが情報の送り手の「誠意」の表れなのである。

 だが、貴方は知ってるからといって、それを一般化して良いものなんだろうか。

 断言できるのは、ネットで議論したことのある人としたことがない人がいるとして、後者の方が圧倒的な多数であるということだ。

 既に、ある種の「作法」を前提とするものの言い方が夜郎自大であるのだ。
 いわゆる、『ブロガー』であるとか『2ちゃんねらー』であるとか、そういう人に共通の「作法」があるとして、それを万人に強制できるとするのは思い上がりである。
 ぼくの尊敬する人の弁に「『誠意』などやたらに強調するのはヤクザだけだ」というのがある。この種の「作法」にもそういった印象が強くある。
 そんなものは単なるままごとに過ぎない。誰でも(特に良い大人が)付き合ってくれるはずがないのだ。


 「記事に問題がある」?よろしい、その意見も検討してみよう。

 まず、こうやってアメーバニュースのその記事とぼくが今書いているこの記事のあいだには、コミュニケーションが一応は成立しているわけである。ぼくは彼が書いてることが分かってるし、その記事を書いてる記者さんにもぼくの記事が分かってるんだろう。

 しかし、である。双方が「分かっている」ことを支えるコンテクストとはいったいなんであるか?

 例えば、それはオーマイニュースのブログや2ちゃんねるでの評判だったり、アメーバニュースというのがいったいどういうメディアであるかという雰囲気、「似田さん」などの固有名でであるのだ。

 繰り返すが、そんなものが一般化できるのか。

 そんなコンテクストはブログや2ちゃんねるだけが支えているに過ぎない。しかし、そんなものが分からない読者にしてみれば、アメーバニュースの記事も、ぼくが今書いている記事も、そんな糞みたいな文章は意味が分からないのである。
 おそらく、ぼくが感じている「似田さん」という仮名からして差別であるという人への憤慨も分からないわけである。

 であるならば、その記者の言う「良い記事」とはなにか?
 こんなふうに特定のコンテクストを抜いてしまえば意味不明な文字の羅列にしかならない記事なのか?

 ぼくが思うにそんな記事よりは、はるかに「ジェノバソースの作り方」のほうがニュース性があるのだ。

 はっきり言って、ある特定の層にしか通用しないコンテクストを必ず必要とするコミュニケーションなどゴミみたいなものだ。
 特定のコンテクストでしかないものを尊大に押し付けてくるとき、彼は「ネットでの立ち振る舞い方を知っている」とは言わない。彼は「ネットに頭をやられている」のだ。

 自分たちのコンテクストを共有できている記事しか好きでないなら、勝手にすれば良い。
 それで本質的に彼らがしたいことと言えば暇つぶしなのだ。だったら、死ぬまで勝手にやってればいい。せめて人の迷惑のかからないところで。

 ぼくは「今ここで生きていること」を起点とするオーマイニュースに幽かではあるが期待をしている。
 ぼくは「貴方」が何者であるか知りたいのではないのだ。「貴方」が何者で、ぼくにどうして欲しいのか知りたいのだ。
 「貴方」が「何処」で生きていて、「何者」であるのか。虐げられているのか、権力を握っているのか。苦しんでいるのか、楽しんでいるのか。
 それで、ぼくにどうして欲しいのか。
 ぼくはそれに答えていきたいのだ。本当に。
 
 さて。貴方の話を聞こうじゃないか。

オーマイニュース(日本版)より

ジェノベーゼソースの作り方を教えてください。