創作エッセイ(63)影響を受けた作家

昨日今日と24時間の間に、奥泉光さんの「黄色い水着の謎」「ゆるキャラの恐怖」(それぞれ、桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活の2、3になる)を読んで、文体というか語り口について考えた。今回は、そんな話題。

年代ごとに影響を受けた作家がいる

 私の中学生時代は1970年に始まった。ちょうど大阪万国博覧会の年である。高校国語教師の父は、本だけは好きなだけ買ってくれたのだが、さすがに限度があるようで、前年の小学六年生の時に、私を書店の文庫本棚の前に連れて来て、「これからはここから欲しい本を選びなさい」と言った。
 初めて買った文庫本が創元推理文庫。父から貰った文庫本が講談社文庫の吉川英治「宮本武蔵」と岩波文庫のデュマ「三銃士」であった。
 そこから中学時代は「物語(フィクション)」に嵌りまくった。当時、影響を受けた作家は、北杜夫・遠藤周作・筒井康隆・小松左京など、当時の人気作家たち。父の本棚から新刊を拝借して読んでいたということもある。
 実際に文章を書くようになって、文体や語り口で影響を受けていたのは北杜夫・遠藤周作のエッセイである。
 高校の現国の課題で林芙美子の「風琴と魚の町」の課題が出た時、風琴亭魚町というペンネーム(ペンネームの使用が許可されていた)でレポートを書いたのだが、それを見た父親から「作家気取りでけしからん!」とこっぴどく怒られた覚えがある。母校の先生は好意的だったけどね。
 大学四年時に、マンガから小説に転向したとき、文体や語り口は大藪春彦っぽいハードボイルドなものになっていた。活劇シーンの描写はドン・ペンドルトン(「死刑執行人シリーズ」)、心理描写や情景描写のテクニックとセンスは生島次郎さんとデビュー当時の大沢在昌さんの影響を受けていた。
 就職して会社員になった後、公募修業時代の実際の執筆では、作劇センスや描写に複数の情報を込める技を、笹沢佐保さんの木枯し紋次郎シリーズを教科書にして学んだ。セリフ回しに関しては倉本聰さんのシナリオが教科書になった。

奥泉作品との出会い

 30代半ばになった頃に出合ったのが奥泉光さんの作品「桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活 モーダルな事象」だった。長い地の文章なのに読みやすくて心地よい。達者な話芸を思わせる語り口に、目からうろこが落ちた。文章だからとかしこまらず「自由に語っていいんだぜ」と言われたような気がした。
 その後、うつになって53歳で会社を早期退職するのだが、うつが寛解していく過程の気づきをネタに作品を書こうと思ったとき、この奥泉さんの「クワコー」シリーズのような語り口で、ダメダメだった自分を笑い飛ばしながら書こうと思ったのだ。
 それまでの普通の文体ではなく、自分を客観視する作品ならではの書き方を試してみたわけだ。
 ちょっと長いけど引用してみる。

(西森元・名義「人生はボンクラ映画~青空侍58」より)
 オーギュスト・ロダンの「考える人」のポーズで、西本はトイレの便座に腰を下ろしていた。
 スマートフォンのツイッターの画面を見ながら、映画「ランナウェイズ」ってジョーン・ジェットの視点なんだね、それがよかったよ、というハンドルネーム「キネマ親父」さんのつぶやきに対して「禿同」とリツイートした。
 そして自分の頭をなぜて、「激しく同意する」という意味のネットスラング「禿同」が、偶然にも「ハゲオヤジの自分が同意する」というダブルミーニングになっていることに気づいて苦笑した。
 勤務先・東海エージェンシーの隣にある地方裁判所の地下一階のトイレである。
 そのとき、ぐらりと頭が揺れる感じがした。
 めまいかな?、と思った。
 実は、三ヶ月前にも同じようなめまいを起こしたことがあったのだ。それは勤務先からの帰路だった。終業時に少し視界に異常を感じていたのだが、まあ大丈夫だろうと考えて、いつものように自動二輪で家路に就いた。それが次第に目が回るような気分になり、家まで帰る一時間の帰路の途中、そのめまいはどんどん酷くなり、二回バイクを路肩に止めて嘔吐した。自分が運転しているにも関わらず、車に酔う感じだった。
 家へ着いたときは立っていられなくなり玄関先で倒れた。天井がぐるぐると回って見えた。びっくりした妻の直美が車で近所の内科医まで連れていってくれたのだが、医師は西本の眼球をのぞきながら、「三半規管の異常ですね。よくバイクを運転できたものです」と言っって、車酔いの薬を処方してくれた。
 それ以来、いざというときに備えて車酔いの薬を常時携帯するようにしていた。今回もそれだと思ったのだ。
 めまいは長年煩っている糖尿病のせいかもしれない。特にここ十年ほどは、うつ病も併発していて抗うつ剤も飲んでいた。うつでモチベーションが低下して、血糖コントロールもいい加減になっていたのだった。
 糖尿病の闘病には、「健康になろう」という強い気持ちが必要だが、うつが高じてくると、「明日の朝、目が覚めなければいいなあ」とか、「夜寝ている間に楽に死なせて」という気持ちが強くなる。そんな気持ちで闘病などできるわけがないのだ。
 ツイッターの画面を流れるつぶやきに、「今揺れた?」とか、「こっちすげえよ」という文字が流れ始め、ようやく、これはめまいではなく地震だったのだと気づいた。
 西本がフォローしているツイッターユーザーは、九十年代前半のパソコン通信からインターネット草創期にかけてのネット上の知人が多かったので、彼らの大まかな居住地域がわかっている。
 京都在住の映画ライター氏が「揺れた」と書き込み、札幌の映画ファン氏が「激、揺れた」と書き、練馬区在住のネットミュージシャン氏が「この揺れフォルティッシモ」と書き込んでいる。そして、ここ名古屋に勤務する西本がめまいかと錯覚したのだった。
以上引用ー

 それまでは、「もっと短く書こう」とか「くどすぎないかな」などとくよくよ考えながら書いていたのだが、そんな心配をやめて、当時の体験を要領よく語るつもりで書いていった。恐ろしく早く書けた。当時執筆中の「不死の宴 第一部」の半分の長さなのだが、自分の体験をネタにしているだけあって、60日で書き終えた。「不死~」の方は二年かかっている(苦笑)
 その後、奥泉作品「新・地底旅行」を読んだときは、ジュール・ベルヌ的な時代と世界を、同時代の夏目漱石の文体で描いていて、ますます感心した。

何歳になっても気づきはある

 今年で66歳なのだが、未だに小説やマンガやアニメや映画や演劇や音楽や芸術から様々な気づきをいただいている。刺激的な毎日を生きてると、まだまだ老いぼれるわけにはいかねえぜ的な気持ちになる。
 ありがたいことである。

(追記)
文中で引用した自作は下記リンク先でお読みいただけます。
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人生はボンクラ映画~青空侍58

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