創作エッセイ(45)物語の「型」
起承転結、序破急など
物語の型でよく言われるのが「起承転結」とか三幕構成の「序破急」(シナリオとか)など。これはいわば形の型だ。
もう一つ、読者なり観客なりが「気持ち」の上で感じる型がある。
これは、謎の提示と解決などの周期で、形の型にはこだわらないし数も決まっていない。
誘い、焦らし、満足のローテーション
これは物語を転がす道具で、これが適切に配置されていると、一度読み始めた読者はページを手繰る手を止められないという作品になる。
ドラマだと、近年オンエアされた野木亜希子さんの「アンナチュラル」というシリーズが、これを上手く配置していた。
読者や観客が感じる、「これって、なんだろう」(誘い)という気持ちを、適切なタイミングで情報を小出し(焦らし)にして、「そうだったのか」(満足)と気づかせる。
焦らすのはメインの事件だけではない
物語を貫く一本のドラマとは別に、各キャラクターの抱える謎(過去とか、家族関係の悩み、劣等感や、抱えている悩みなどの背後状況)、所属している組織やコミュニティの存続の危機などが、同時進行で進む。それを「適切なタイミング」で読者や観客や視聴者に「小出し」(焦らし)にすることで、ラストの「そうだったのか」とか「気持ちの整理がついたんだな」とか「二人はやがて結ばれそうだなという予感」などのエンディングの満足感につなげていく。
適切な配置とはどういうことか
「誘い、焦らし、満足」を一度に解決するのではなく、最初のシーンで提示した「誘い」を「焦らす」とき、「満足させる」ときに、同時にそれが後段のシークエンスの「誘い」や「焦らし」になるように配置する。一つの謎が解決すると同時に新たな謎が表れるのだ。
このローテーションで読者を引っ張る腕こそが、作者に問われる才能だと思う。
文章は巧いけど
「私は文章が巧いし読みやすい、一日にX万字書く剛腕だ」という方もいようが、小説の面白さにとって巧い文章や読みやすい文章は、必要最低限の前提条件に過ぎない。
その前提をクリアしてるけど、内容は陳腐で、どこかで昔読んだような話で、「こうなるのかな」と思った通りに物語が進む作品が、ネット上に氾濫している。
本当に大切なのは、読者の気持ちを離さない腕である。
これが本当にうまくなるとほっといても読者は増えるんだけどなあ(と自戒を込めてつぶやく俺である・苦笑)