まえばし心の旅046:エピローグ
1年間続けてきた「まえばし心の旅」、今回が最終回となります。今まで聞いてくださったリスナーさんに、心から感謝します。
今日は最後なので、自分のことを少しお話しさせていただきます。私は昭和50年に、臨江閣のちょっと裏手にあった「横地産婦人科」で生まれました。父は神奈川出身で、母が前橋の人。なので、日吉町にある母方の実家で育てられました。子供の頃から、買い物や遊びは、まちなかばっかり。当時は、西武・ニチイ・マルイ・前三・赤かんばんなどが勢揃い。中央通りなどは人の流れがあり、子供にとって、息苦しいほどでした。
高校を卒業してから10年近く前橋を離れていましたが、27歳の時に前橋に戻ってくると、子供の頃とは様子が変わり、「シャッター通り」と呼ばれる有様に。でも、だからといって、買い物などで郊外に行く気にはなりませんでした。この頃はお酒も飲む様になっていたので、飲みに出るのもまちなか。昼も夜もまちなかに出没する人間が出来上がったのです。
当時は会社勤めでしたが、小学校5年生から始めたお箏やお三味線も並行して続けており、やがて会社を辞めて、お箏・お三味線を本業にすることにしました。多くの人から、「お箏やお三味線は直接聞いたことがない」「敷居が高そう」なんていう言葉を聞きます。でも、実際はそんなことないんです。
そんなことから、私は自分の活動の二つのテーマを決めました。一つは、「日本の音をあなたのそばに」で、お箏やお三味線を身近に感じていただきたいという想いです。もう一つはそのまま、「前橋のまちなかを元気に」です。この二つが同時に満たせる活動ができればいいですね。そんな想いを具現化するために、まちなかにお稽古場を開設しました。お稽古場があることにより、人の出入りが生まれます。そして、まちを歩く人に音色が届くことにより、興味をもってもらえます。
おかげさまで、「まえばしまちなか音楽祭」という、音楽によるまちなかの活性化を目的としたイベントに関わらせてもらっております。そのほかには、前橋中心商店街協同組合の広報委員や、朔太郎紫陽花フェスティバル・YouTubeの前橋まちなかチャンネルなどの実行委員も務めております。
ただ、そういった活動を続けてきて、活動のレベルを何かもう一つ次の段階に上げたいなと感じているのですが、ではそれが何なのか、まだ答えが出ておりません。
この「まえばし心の旅」も、むーちゃんに声をかけてもらい、前橋の魅力を一人でも多くの人に伝えられればと思い、始めました。執筆の時には、裏付けを得るために資料にあたったり、ネットを検索したりと、学ぶことがたくさんありました。
また、リスナーさんからいただくメッセージも、とっても力になり、ラジオを通じて多くの方と繋がっているという感覚を感じたのが喜びです。
過去のエッセイは、全てnoteにアップしております。でも、もっと肉付けして、写真などを追加して、一冊の本なんかにできないかなあ、なんて思っています。
来週は、スタジオにお邪魔して、むーちゃんといろいろお話をしようと思っています。時間、たくさん取ってくださいね。
リスナーのみなさん、そしてこのチャンスをくれたむーちゃん、本当にありがとうございました。そして、またみなさんにお会いできる機会ができることを楽しみにしております。
放送日:令和4年3月23日
音声データはこちらからお楽しみ下さい。