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まえばし心の旅039:前橋駅

子供の頃、電車の発車を知らせる音は、今の様にメロディではなく、ジリリリリという、いわゆるベルだった。ホームの柱に、赤いベルが取り付けられていたのを覚えている。その頃の前橋駅は、昭和2年に建てられた洋風の駅舎で、両毛線も高架化されていない。駅舎の屋根の中央部分が三角形の破風の様になっていて、そこにアーチ状の装飾があった。中の待合室には椅子が並んでいて、そこで電車を待ったり、家族が電車で帰ってくるのを出迎えた。

改札口には駅員さんが立っており、切符に切り込みを入れる改札鋏のカチカチという音が響いていた。ホームは対面式で、向こう側のホームに行くときには、こちら側のホームから階段を登り、向こう側のホームでは階段を降りた。ホームの屋根は木で骨組みが組まれていた様に思う。運行されている電車も、オレンジと緑の重々しい雰囲気の電車で、はじめて前橋駅に、白地に緑色の斜めの線が入った「新特急あかぎ」をみた時は、ずいぶんモダンな電車が来たな、と思った。

電車の到着時には、録音されたアナウンスの音ではなく、駅員さんがマイクを使って「まえばしー、まえばしー」と言っていた。

 駅前広場には丸い池があり、その真ん中には、「平和の像」という銅像が立っていた。そして、その池の周りをぐるりと囲む様に、座れた様な気がする。

 昭和61年、両毛線の高架化とともに、仮の駅舎を経て、今の駅舎に建て替わった。階段の上り下りも1回で済むし、バリアフリー化された快適な駅舎になった。しかし、なんとなく風情がないなあ。昔の駅舎が今でも残っていたら、登録有形文化財くらいにはなっていたのではないか。駅としてではなくても、どこかに移築して残しておくことなどはきなかったのか。前橋の中心部では数少ない、空襲をくぐり抜けた建物だった。噂で、どこかの予備校が旧駅舎を解体して持っているという話を聞いたことがある。その予備校も閉鎖してしまっており、今はどうなっているのやら、、、

 そして、前橋駅北口につながるケヤキ並木が立派だ。昭和25年、戦災復興によって植樹された。当時の状況で、あの道路の幅を確保したのは、とても先見の明があると思う。70年経ち、今はケヤキが立派に育ち、前橋のシンボルの一つとなっている。ケヤキ並木沿いの建物の2階から並木を見ると、表参道にいるかの様な錯覚を覚えることがある。以前、栃木の方を、前橋の駅前通りから国道50号・県庁前通りを通って県庁にお連れして、32階のレストランで食事をしていただいたことがある。そうしたら、「前橋は素晴らしいところですね」と感動してくださった。駅前のケヤキ並木にはじまる前橋のケヤキの道は、それほど価値があるのだ。

 前橋は、駅ができるときにすでに街があった。だから、街からちょっと離れたところに駅ができたという。そのためか、あまり馴染みがない市民も多いかもしれないが、駅は人生の節目のドラマが生まれる。私も、高校を卒業して前橋を離れるときには、前橋駅から旅立った。その時の駅の景色は今でも覚えている。そして、駅はどこに行っても街の一つの核だし、最近はアクエル前橋も開業し、新しいマンションも建設されている。駅も、ストリートピアノ、まえきコンサートなど、さまざまな取り組みを行い、一つのにぎわいの拠点としようとしている。

 これからの前橋駅の歴史を作るのは、前橋に住む私たちだ。

放送日:令和4年1月26日

音声データはこちらからお楽しみ下さい。


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