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はじめの生い立ち13〜14:大学卒業から留学

大学卒業後の進路選択

生い立ちシリーズ、今回は大学卒業後の進路から留学のことです。

当時、とても悩みました。

・箏曲の道に行きたいが、長時間の正座は膝が痛くなる問題と、技術や諸々の不安がある。

・塾講師や家庭教師のバイトをかなりやっていたので、予備校や塾の講師もやり甲斐がありそう。

・回りからは、祖父の会社に入ることを期待されている。

そんな中で、
・祖父のやっていることを身内で引継ぐ人が誰もいない。
・また子供の頃から祖父母にはとても可愛がってもらっていた。
・子供の頃から、祖父の会社の人に囲まれて育ってきた。
・箏曲は、仕事の傍らライフワークとして一生懸命行えばいい。
・祖父は群馬のスポーツ振興に尽力したが、私は文化の方に力を入れていこう。

と考え、祖父の会社に就職することを決めました。

そして、祖父や身内と相談の上、海外経験と英語を身に付けるために、1年間の留学をすることとなり、その準備に入りました。

大学の勉強と、飯田橋にある「ブリティッシュカウンシル」というイギリス政府系の英語学校での英語の勉強を、平行して進めました。ブリティッシュカウンシルはイギリスの大学などの情報も充実していたので、留学先の選定や出願等を行い、さらにはIELTSというイギリスが行っている語学の試験も受けました。そういった諸々の手続きを経て留学先も決まり、大学も単位を取り、卒業しました。

しかし、日本の年度は4月始まりで、イギリスは夏始まりです。数ヶ月のギャップがあります。その間ぶらぶらしているわけにもいかず、大学の卒業後は、一旦祖父の会社に就職をしました。そして、祖父母と養子縁組。私の名前も、祖父母の苗字(母の旧姓)となりました。以後、約15年この母方の苗字を名乗ることになります。

英国へ

8月になり、留学先の新学期に合わせ、会社を休職し、渡英。行き先は、ロンドンから電車で一時間くらいのColchesterという町にある、University of Essexという大学の大学院です。

大学院といっても、日本にはない、学士と修士の間の様なコースです。

私の専攻は経済学だったのですが、元々英語で発達した学問。最初は大変でしたが、慣れると日本語よりも英語の方がわかりやすいです。ただ、日本ではあまり勉強していなかったので、ほとんどの時間分厚い教科書にかじりついて、夜になったらビールを飲む様な日々でした。

住んでいたのは留学生向けの寮で、キャンパス内にありました。また、パブなどもキャンパス内にあったので、けっこうほとんどの用事を大学内部で過ごすことができました。週に一回くいらいは、TSECOというスーパーに行き、食料品や消耗品を買います。キッコーマンの醤油が売っていたので、助かりましたね。

そんな中、たまに英国の道をドライブするのと、一回だけ行ったヨーロッパのドライブ旅行が思い出に残っています。

いろいろな国の人とも知り合い、視野が広まった気がします。約1年で日本に帰ってきました。

留学中に感じたこと

私がいた大学は、けっこう多くの国からの留学生を受け入れており、幅広い国籍の学生が集まっていました。

パーティーなどがあると、みんなそれぞれ自国の衣装を着たり、文化を語ったり演じたりできるんですね。

その中で日本人は、洋服を着たままで、せめてピアノで日本の曲を弾くくらい。

一人だけ、日本人の女性が浴衣を着てきたら、各国の人から大人気でした。

そういう状況を見ると、日本人は、自国の文化を知らなさすぎると感じます。

私は、さすがにお箏をもって行くことはできなかったので、自分の出演した演奏会の写真などを紹介していました。

なので、留学する日本人は、せめてポリエステルの浴衣か着物一着を持ち、お茶を点てるか毛筆で字か書けるくらいのことが出来ることをお薦めします。本格的でなくてもいいんです。その雰囲気を出せれば。

大変人気者になれますし、かつ、文化が語れるということを通じて信頼されます。

留学をお考えの方や学校関係の方、他国のことも大切ですが、まずは自国の文化です!!

ちなみに、タイトル画像は、住んでいた部屋の写真です。

次はこちらとなります。


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