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まえばし心の旅019:高校野球

今、熱戦が繰り広げられている甲子園。今年はコロナや雨に大きな影響を受けたが、夏の熱 い戦いを見ていると、子供の頃からの、様々な出来事を思い出す。

私の祖父が、前橋工業高校、いわゆる「マエコー」の野球部に関係していたので、子供の頃から前工野球部は生活の 一部だった。休みの日は毎週の様に祖父に連れられて、当時岩神にあった前工野球部のグラ ウンドに行っていた。夕食も野球部の生徒と一緒のこともしょっちゅうだった。夏休みなど の旅行先は、前工の遠征先。もちろん、敷島球場や城南球場の試合の応援も数えきれない程 見に行った。

その中でも特に記憶に鮮明なのは、昭和 58 年の夏の県大会の決勝だ。前工対太田工業。現在埼玉⻄武ライオンズのジェネラルマネージャーを務める渡辺久信さんがマウンドに立っていたが、延⻑戦の末押し出しのフォワボールで、太田工業にサヨナラ負けをしてしまった。


そんな縁から、祖父は渡辺さんの結婚の際には仲人をし、私も披露宴に出席させていただいている。その渡辺さんが⻄武ライオンズの監督就任 1 年目に日本シリーズで優勝を果たしたその日に、祖父が旅立ったのは、強い運命を感じる。きっと、祖父の魂は、決戦の場、東京ドームにいたと思う。


私が大学生の頃、前工が甲子園で 2 年連続ベスト4になった。テニスサークルの練習日だったが、練習そっちのけで、テニスコートのテレビで甲子園を見ていた。その数年後、桐生第一高校が群馬県勢として初めて甲子園で優勝したが、嬉しい反面、それが前工でなかった のが、ちょっと複雑な心境だった。


でも、私が卒業したのは前橋高校、マエタカだ。高校生の頃はもちろん、敷島に足を運び、「イケイケ前橋!」をみんなで叫んだ。ただ、前高対前工の試合だけは、どっちを応援した らいいのかわからなかった。


会社員時代の平成 14 年、前高が春の甲子園に出場した。その時の赴任先の支店⻑が前工野球部の OB だったが、「前高が甲子園にいくなんて滅多にないんだから、今日はおまえはテ レビを見てろ」と仰ってくださり、支店⻑室のテレビを独占した。


その 8 年後の平成22 年、前工が春の甲子園に出場し、私も甲子園に応援に行った。その時の前工野球部の監督が、平成 14 年に前高が甲子園に行った時の選手だった。これも何かの 巡り合わせと思う。


その頃、前高野球部の監督に、私の同級生が就任した。やはり、同級生が監督だと、応援に熱が入る。敷島球場のスタンドに、部員のご父兄以外にやけに熱い一団がいたが、それが私 たち監督同級生チームだった。


平成 25 年、前橋育英高校が、甲子園初出場初優勝を果たした。決勝戦の日、会社の朝の打 ち合わせで「今日は育英の応援にいきます」と宣言し、会社を後にして元気 21 のパブリッ クビューイングを見に行った。県勢の優勝、それも前橋の高校ということで、本当に盛り上 がった。面白かったのが、育英の卒業生の多くは甲子園入りしたのだろうか、元気 21 に集 まっていたのは、前高卒業生が多かったことだ。


高校野球は、1回負ければ終わりだ。そして、高校生に来年はない。その緊張感やひたむきに続けてきた純粋な努力。その経験は、高校球児たちにとって、その後の人生に大きな糧と なるだろう。私たちにとっても、その姿が美しく、力をもらう。勝利に向けて頑張った一人 一人の、これからの人生に幸あらんと願う。

放送日:令和3年8月25日

音声データはこちらからお楽しみ下さい。


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