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「私が書いた日記」 1
真冬の朝6時、京浜東北線を降りる。この時間帯は、スーツを着たサラリーマンが少ない。ニット帽をかぶり、厚手のジャンパーを身にまとった中高年の姿が多い時間帯だ。駅ナカのコンビニでお茶とおにぎりを買った。職場に食堂はあるが、いつも昼ごはんはこのコンビニで買う。そのほうが200円ほど安くすむ。駅の改札を出て、私はバス乗り場に向かった。
バス乗り場で、非正規で働くバイトリーダーがすでに点呼をとり始めているのが見える。私は、小走りでバス停に向かった。
「高橋真一」と、ちょうど私の名前が呼ばれた。
息を少し切らせながら、「はい」と小さな返事をする。ここから20分ほど無料送迎バスに乗り、職場がある工業地帯に向かう。非正規労働者となって約3年が経過した。それまでは、グラフィックデザイナーとして、それなりに大きな会社に勤めていた。しかし、毎月のおよそ120時間の残業で体を壊して退職し、今に至る。だが、そこで築いた人脈を生かすことで、今もフリーのグラフィックデザイナーとして、収入が僅かにある。しかし、とても生活できる稼ぎには届いていない。
乗車してしばらくすると、ようやくバスが暖房を入れて出発した。バスの車窓から外を眺める。駅から発車して五分もすると、人の姿はほとんどなくなる。そこからは、職場まで殺風景な景色が続く。目にするのは大型車や重機が多い。途中、細い川を渡る橋からは朝焼けがみえる。寒さのせいか、朝焼けはボヤけている様に映る。バスが走る大通りの脇には歩道があるが、人が歩いていることはあまりない。その歩道の脇にある椿の花を眺めていると、一瞬だけ朝顔が現れた。冬に朝顔が咲くのだろうか。私がとっさに座席の斜め後ろを見るように姿勢をかえると、朝顔がまたみえた。小学生がビニール袋に朝顔をいれている。はみ出した朝顔の花が5つくらいみえた。
小学生の頃に朝顔を育てた記憶がある。私は、その頃から二十年以上生きてきた。そして今、このバスに乗って小学生がもつ朝顔を眺めている。これは、悲観することなのだろうか。はっきりしないが、自分を悲観的に捉えている感覚があった。もしも、自分が過ごしてきた時間を悲観しているならば、それは時間を流すような人生への後悔ということになる。考えてみれば、そういう人生だった。しかし、それとは別に、自覚せずに大切なことを流してしまった罪悪感もある。それを払いのけることができれば、きっと、今の生活でも、自分を悲観しないだろうと、自信があった。
「何を流してしまったのか、はっきりさせよう」という意志が芽生える。
しばらくして、バスは職場に到着した。
退勤時刻の17時にチャイムがなる。通っていた小学校のチャイムと同じメロディだ。この日は、すぐに作業着から着替えて、17時7分発の駅までの無料送迎バスに乗ることができた。この季節、帰りのバスから眺める景色は、労働の疲労も重なり全てが薄暗くみえる。バスが、今朝小学生の姿があった椿の花が咲く歩道を過ぎる頃、外はすっかり暗くなっていた。
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