「私が書いた日記」 5
気品が漂う番頭のお婆さんに入浴料を払い、漂うみかん湯の香りを思いきり吸い込んだ。横並びで藤井さんと着替え、二人で大浴場の扉を開けた。湯気でぼやけた富士山のペンキ絵が見え、湯気の奥からはカラン、コロン、カッ、とタイルの床と桶が擦れる音が聞こえてくる。並んで空いているシャワーの前に桶を置き、二人で並んで体を洗い流し、二人で一緒にみかん湯に浸かった。
「今日はみかんが多いね」と、藤井さんはニコニコしている。
「いいですねぇ、それに、ここの富士山は実際に眺めている迫力があるんですよね」と、ペンキ絵を見ながら言葉を返した。
藤井さんは大手電機メーカーで人事を任されていた。現役時代、多数の社内の人員を管理し、新卒の学生を見定めてきた。そんな藤井さんの眼には、今の自分はどう映っているのだろうか。おそらく、道端で腰に手をあてビールを飲んでいる様な者と接する機会はなかっただろう。しばらく藤井さんと話をしていると、緊張感のない面接を受けている心地良さを感じる。視界の隅に入る横顔は笑顔で、こちらもつられて笑顔になってしまう。みかんの香りも飽和点に達し、果汁が降ってきそうだった。これまでの人生を、人の表と裏を観ることに費やしてきたのに、どうして人生の疲労を感じさせないのだろう。
「藤井さんみたいなおじさんになりたいですよ」と、気がつけば口にしていた。
「ありがとう。しかし、私は実際に富士山を眺める臨場感をこの絵からは感じない。そういう感性は立派だよ。羨ましいとも思う」と、藤井さんは照れながら言う。褒められたのだろうか。少し嬉しい気持ちになった。
二人で銭湯を出ると、サウナから出た時と同じような爽快感があった。途中のY字路まで藤井さんと一緒に歩き、そこで別れる。
「おやすみなさい」
「おやすみ、また今度!」
空を見上げると、北極星の周りにかすかに冬の星座が見えている。太った月は、さっきよりも少し西の方向に移動している。iPodをオンにして、最大音量で曲を流し、もう一度空を見上げた。まるでこの地球はコンサートホールのようだと思う。小学生の時、星座盤を手にして空を観察していたことを思い出す。藤井さんから言われた事はその通りなのかもしれない。僅かでも明るい兆しを掴んでは、それを最大に膨らます妄想を描き、現状を維持する。星座盤では隠れていても、頑張れば南半球の星座も見えると信じる。そういう努力をした幼少の頃の記憶はうっすらと残っている。そして、それは自分の弱さから生まれた努力だったと思っている。
玄関に鍵をかけエアコンをオンにする。室外機が音をだして唸りだす。オーナーが設置したエアコンと室外機は最初から中古だった。いつか周りの部屋の住人から苦情がでると思ってきたが、3年間で苦情はない。鍋に冷凍うどんと天然水を入れる。白菜をザクザク切り、うどんが見えなくなるまで山盛りに入れ、白菜の山の中央から卵を押し込み、換気扇をつける。3分経てば湯気がでてきて、2分後には完璧に煮込まれる。そのタイミングで麺つゆを注げば、15秒後に特製うどんが出来上がる。乾燥わかめを振りかけて、5分で食べ終えてしまった。
机の上には朝顔の写真と日記帳がある。床に置いたアルバムを、机の脇にある小さな本棚にさし、椅子に座り、日記帳を手に取った。表紙をめくった。どうやら、8月21日から日記を書き始めたようだ。「1991年1月~」となっていたが、どういうことなのだろうか。半年以上も書くことがなかったのだろうか。
ー8月21日ー
夏休みは楽しい。8月25日に仙台のおばあちゃん家に行く。川と海でおよぎたいです。
ー8月23日ー
8月25日にお父さんから行かなくなったと言われた。8月30日に行くと言っていた。早く行きたいと思った。
ー8月29日ー
お父さんがよっぱらってた。明日は行かないと言っていた。お母さんと4人で行く。お母さんがかばんにようふくをいっぱい入れてた。ぼくと弟と妹がリュックサックにみずぎとか本とかおもちゃを入れた。明日はしんかんせんにのる。
日記は縦書きだった。短い日記だが、一日一頁を守っている。祖母や祖父はとても優しかった。きっと、母親に対してもそうだったのだろう。川遊びをした時の楽しい思い出に浸っていると、心地のよい睡魔に襲われ、机に伏せる姿勢で眠りについた。