シアワセの作り方
「なんでそんなにいつまでもパパと仲ええん?」
と、突然ムスメくんに聞かれたノリコさん。
そんなわけで、ウチのパパさんの話。
その昔、
「いいとこの」ではないけど、
ひとりっ子でおぼっちゃまだったパパ。
たくさんの甘やかしまくってくれるオトナに囲まれて育ちました。
北京都で思春期を全開でいろんな意味で楽しんだおぼっちゃまは、
大阪へ出て音楽の専門学校へ行くことになりました。
ここで初めて自分の力で生きることになりました。
ジリ貧ながらも、楽しい都会の学生生活を送っていたそうです。
無事学校を卒業して事件は起きました。
親の大きな借金を背負うことになったのです。
彼の20代は借金の返済一色になりました。
普通に勤めていては返せないので、派遣で昼夜なく工場で働き、
30歳目前に返済しきったそうです。
そして結婚。
縁を切っていた父から10年ぶりに連絡が来たのは、
母の余命が半年であるとの知らせだったそうです。
そのとき、ムスコくんが奥さんのおなかにいました。
父や母への怒りや恨み言、全てをのみ込み、父と二人で母を看取りました。
お母さんは、初孫の顔を見ることは叶わなかったそうです。
悲しみが少し薄らいだ頃、ムスコくんが誕生します。
二年後には続いてムスメちゃんが産まれます。
彼がシアワセだったのは、この頃だったのでしょうか・・・。
しかし、
奥さんのご両親にはパパだけが家族とは認めてもらえず、
仲間はずれが当たり前の婿いびり状態だったようです。
ムスメちゃんが産まれてしばらくして、
仕事が忙しく、子供達にも起きてる時にめったに会えない頃、
奥さんは夜遊びを覚えてしまいました。
夜勤のパパは、
3歳のムスコから「マミィがいない。妹が泣いてる」と
泣いて夜中に電話がかかってくることをどんな思いで聞いていたのだろう。
毎夜どんなに不安で仕事に行ったのだろう・・・
口下手すぎるパパからその想いを聞くことはありませんが、
その光景は、いつも三人の想いを想像するだけで胸が張り裂けそうになります。
ストレスで、喘息が悪化し瀕死で入院したのもこの頃だそうです。
たくさんのオトナに甘やかされていたものの、
家族仲良しというものではなく、ずっと寂しさを感じていた彼のやっと作った「俺の家族」。
それさえも、音を立てて崩れていく日々を彼はどうやって生きていたのだろう。
その頃
幼いムスメちゃんは週末しか会わないパパが出勤するとき「また遊びに来てね~」と言っていたそうです。
どんなに苦しくても、護らなくなくてはいけない家族が出来た彼には、本当の絶望はきっとなかったのでしょう。
苦しくても重くても、何度裏切られても、傷つけられても、哀しくても
絶対そこが最後の居場所ではないはずだと前を向いたのだと思います。
ワタシもずっとそう思って生きてきたから。そんな気がします。
そして彼は、離婚を決意し、
「俺の家族を誰にも渡さない」とまだ小さな二人の子供達を男手ひとつで育てはじめます。
夜勤をやめ、保育園送迎をするために時短で働きました。
そのころはまだ、
シンパパには手当などもなく、みるみるお金は減っていき、
喘息は、洗濯を干しに2階に上がれないほどひどくなっていったそうです。
そんな風に一人で頑張って3年が過ぎた13年前のちょうど今頃、
私とムスメくんはこの家族と出会いました。
口下手な彼の歴史を私がちゃんと解ったのは、やっと最近かも知れません。
人の借金を背負う、鉛のような重苦しさ。
乗り越えても乗り越えても続く、
身内から降りかかってくる災難の、絶望感の半端なさ。
おんなじような歴史をもつ私だからこそ、ちゃんと聞かなくても解ったんだな。
そう思うのです。
だからこそ、
そんなモノがかすんで消えるくらい、残りの人生をシアワセまみれにしたい
という思いが一緒なのです。
二人ともただそこしか見てないから、
再婚してもまだいろんな波が来たって、きっといつも仲良しなんだと思うよ。
もうその戦いが孤独でないだけで、
信頼して背中を預けられる相棒がいることだけで、どれだけ心強いか知ってるから。
過去は消せないけど、シアワセで上書き保存はできるはず。
パパをシアワセにするのに一番大切なのは、
私がたくさん笑って、シアワセでいることなんだと、私は勝手に決めているのです。
だから私は
「私のシアワセ」をちゃんと知ってること、
「二人でシアワセ」をひとつでもたくさん見つけること、
「シアワセセンサー」をいつもちゃんと働かせて
センサーが発動したら、思いっきりかみしめること、表現すること
それが、パパへの、私自身への愛だと思うのです。
その姿は、
色々あったけど、それでもこの家族で一緒に頑張って生きてきた
アナタたち子供に「私たち夫婦」からの最大の贈り物。
人生で一番大切な「シアワセの作り方」だと思うのです。
私たちのことは忘れるぐらい安心して、
自分の未来を、自由な両手いっぱいで謳歌してくれてるその姿は
私たちの誇りであり、私たちへの贈り物でもあるのです。
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