ムカデのおふだ
古民家の動画を観ながら、
「池付きの家に住むな言うてな」
と呟くと、家族が不思議そうな顔をしている。
子どもの頃、祖父が言っていたのである。
当時内見に行った家に大きな池があり、そんな話が出たのだ。
おそらく、子どもが池に転落する危険性を指していたのだろう。
結局その家を借りたのだが、池の水は全て抜かれ、きれいさっぱり掃除がされていた。
「特に、使われていない池はいかん」
淀む池は、良からぬことを引き寄せるらしい。
家族はそんな話は聞いたことがないと言うし、私も祖父からしか聞いたことがないが、どんよりとした池に幸運が落ちているとは考えにくいので、言わんとすることは理解できる。
祖父の話ついでに、ムカデのおふだをご紹介しよう。
深夜、手首に違和感を感じ起きると、そこに大きなムカデがいた。
悪夢でしか見ないような光景だが、残念ながら目を覚ました現実世界での出来事である。
私が起きたと気が付いたのだろう。
先手必勝とばかりに、私の手首に巻き付き、さらに手首の内側に噛み付いた。
部屋はホラー映画さながらの騒ぎである。
ちなみに私は、虫がそこまで苦手ではない。
家に住み着いた蜘蛛は猫のおもちゃにされないよう大切に守るし、何年かに一度出る「迷いG」の退治もお手の物。
深夜のムカデとの激戦は私が勝利を収め、敗者はトイレにて水葬した。
(夜中だったので外に出るのが憚れ、土には埋められなかった)
武勇伝の如く電話口で祖父に語ると、早々に手紙が届く。
手の人差し指と中指を合わせたくらいの白い長方形の紙は朱墨汁で縁取りされ、中央には同じく朱墨汁で「百足」と書いてある。
それらが数枚。
祖父お手製のおふだである。
畳の際(きわ)の柱すべてに、おふだを逆さまに貼りなさいと仰せつかった。
祖父曰く、百足は番で暮らしているので(親子の説も)殺された相方の復讐をするため、必ずもう一匹のムカデが来るのだそう。
即座に頭を落とさない限り、戦いの間に相方に知らせたり、呼び寄せるとの事。
ムカデとは、そんなに情深い生き物なのか。
床下から柱を伝い、柱と畳の隙間から部屋に侵入するらしいのだが、「百足」が既に下を向いて鎮座しているため(逆さまにおふだが貼られているため)上がれず、いずれ諦めて去るだろうと同封されていた手紙には書かれていた。
その効果なのかは不明だが、ムカデの相方は来なかった。
「昔の人ですからね、自然と近いですよね」と家族に言うと、やはりそんな話も聞いたことがない、君は呪術系の家柄なのかと興味津々だった。
もちろんそんなことはない。
後日談。
ムカデに噛まれた瞬間は痛いだけだったが、時を置いて大変な痒みに襲われた。
そして、毒々しい紫の斑点が手首の内側に広がった。
上記には書かなかったが、実はトイレに流す前、ムカデが生き返ることを恐れた私は、熱湯を掛けて確実に仕留めた。
これでトイレから這い上がってくることはないだろうと思ったのだ。
茹で上がったムカデを見たことはあるだろうか。
紫色になる。
そう、手首の斑点を見て、同じ色だと思ってしまった。
まるで呪いだ。
相方の復讐は逃れたが、本人(本虫)の呪いはちゃんと受けてしまった。
当時、私は事務をしており、長袖を着ていれば発疹は見えないので、さほど問題はないと思っていた。
むしろ場所が場所だから、下手に包帯などしてしまえば良からぬ憶測を招きそうで避けるべきと考えたのだ。
あれこれ聞かれるのも面倒だし、ムカデとの激戦は称えられるどころか、きっと不評であろう。
その日は、百貨店の外商が約束通りに社長を訪ねて来た。
ここで包帯をしていなかったことを後悔をすることになる。
外商にお茶を出した際、少し袖口が上がり、毒々しい手首がチラリと見えてしまったのだ。
誰も望まないチラリズムである。
外商は、差し出されたお茶を見つつ会釈をしていたので、おびただしい紫色の発疹が視界に入ったのだろう。
一瞬フリーズしていたが、何事もなかったように振る舞っていた。
さすが百貨店の外商である。
社長は高級時計のカタログに夢中で、全く気付いていない。
幸いだ。
どんな気持ちでお茶を飲むのだろうと気の毒に思いつつ、私は楚々と退出したのであった。
※ムカデの毒は熱に弱いので、万が一噛まれたら火傷をしない程度のお湯で洗い流すと良いらしい。
ひどい場合は病院へ。