「勉強」について(Ver.28-B)
(2022年6月5日初版投稿(Ver.28-A))
(2022年6月9日加筆、修正(Ver.28-B))
1.
学生時代は本当に「勉強」というものに一切の興味が持てず、本当はやったほうがいいんだろうけれどもやりたくないものはやりたくない。といった風情だったのだけれど、どういうわけか年齢を重ねた現在のほうが「知識欲」が旺盛な傾向が強まっているような傾向がある。かもしれない...
「なんなんだろう?この現象は」と不思議に思う自分がいる。
いちばん最近印象に残った出来事としては、本職のプログラマーさんに「地球上でいま自分がいる現在地の座標(緯度・経度)を割り出す計算をコンピュータープログラムで作るのはものすごくむずかしい」という話を興味津々に聞き入ってしまっていた自分がいた...
「コンピュータープログラム」なんて大昔Visual BasicとMSX Basicに一応挑戦してみるもさっぱりワケがわからず、そこまでの興味や面白味を感じることも自分にはできず早々にやめてしまったし...
ましてや「数学」なんて「理解がついていかない」どころか「理解しようとする気がさらさらない」といったレベルで本当に一切「学習」を放棄してしまってたきらいがあるというのに。
本当になんなんだろう?自分という人間は(笑)とときたま思うことがある...
2.
小学校から高校までの教育カリキュラムには一切の興味も持てず、「やらなければ」といった義務感や焦燥感にさいなまれるようなこともなく、「できなくてもいいからやらずに済ます」を地で行っていたというのにもかかわらず、そのいっぽうで
「英会話」
「音楽制作における音響・レコーディングの基礎知識」
「Unityによる3DCGコンテンツ制作(必要とあらばノードプログラミングなら自分でもできそう。と手を出し始めていたりもする)」
「3DCGモデリング」
「電子楽器(ハードウェアのシーケンサーやドラムマシン)を用いた音楽制作」
「イラスト」
「ヒューマンビートボックス」
「自作PCとコンピューターのシステム管理の初歩」
などには自らすすんで興味を持ち、「勉強」「学習」を始めたり、続けている自分。というのがいたりもする。
「必要にせまられて仕方なく」といった消極的な感じでもなく、「おもしろそう」という直観的・衝動的な動機で自然に「勉強」を始めている。という...
本来、自分という人間は「勉強」というもの自体が決して「嫌い」「苦手」というワケでもない(なかった)のだろうか...?
もしそうだとしたら「そういう自分」に"気づく"までにずいぶん時間がかかってしまったしムダに年を取ってしまったし遠回りもしてしまったかもしれない...(苦笑)
が、気づくことができなかったものはしょうがない(笑)