無題02(VRについてSNSでは文字数制限のためにつぶやききれないなにか (Ver. -B02))
(2022年9月11日初版投稿 (Ver. -A02)
(2022年9月13日加筆・修正 (Ver. -B02))
う~ん...
現実側でなにも「社会的な"役割"、"居場所"」を与えられてないからVRSNSとかで目立った活動をすることで「役割を与えられる」「認められる」「頼られる」といった"居場所"を確保し、得ようている人間が一定数、中にはいるような気がする。という仮説がまず前提としてあって...
それに対しての是非がどうこうとかはいま、ここではどうでもよくて、自分と言う人間は「社会的な役割」を与えられることでの責任やらプレッシャーやらいろんなものが肩にのしかかってくるのがイヤで、それらをどうにかのらりくらりかわし続けてきているようなタイプの人間なので、そもそも「役割」や「居場所」といったものはあんまりなくてもいいし「認められる」...はともかく「頼られる」ような存在・ポジションにはべつになりたくないしならなくてもいいなぁ。というのがあったりする。
だからべつにたとえば「VR業界の一端を背負ってどうこう」というのもないし、VRSNS内で「初心者ご案内」みたいな「別に背負わなくてもいい責務みたいななにか」を背負うようなこともしないし、イベント主催などもとくにしていない。というのはあるのかなぁ?とふと思った。
たぶん、おそらく目的や意識のベクトルが真逆...?真逆とまではいかないまでも向いている方向が違っちゃてる。というのがあるのかもしれない...
それがいいか悪いかはともかく。はいよりとうはという人間は特性・指向性としてそういうベクトルの人間かもなぁ...という考察。