無題08 「デジタルカルト」
(2023年6月11日初版投稿 (Ver. -e-01-a) )
(2023年6月11日午後 加筆・修正・更新(Ver.-e-01-a) )
特定のデジタルガジェットやIoT機器そのものやメーカーを、それらがまるで宗教であるかのようにかたくなに"信仰"している人間が本当に多いと最近感じている。
その"信仰"による思い入れ補正。といった色眼鏡でしか物事を見れず/見ようとせず、かぎられたせまい範囲の中での断定的判断や物言いをしてしまっているような...
「危険思想」とまではいかないまでも、傾向としてあまりよろしくない精神状態・思考パターンなのではないだろうか?
カルト宗教的ですらあるような...
少なくとも「なんかヘンだな」と疑問には思う。
なにかこうあまりも「なんとなくのイメージ」だとか「先入観」だけでものごとを見てしまっているというか
たとえば...
「X」というデバイスがあったとして、それはべつにべつに「X」を発売したA社だけの専売特許で唯一無二のものでもなくて、B社やC社やD社でも同系統の技術体系を使ったものがもうすでに実際に世に出回っているし、B、C、D社の製品のほうがすぐれている部分もある。
じゃあ、その4社の製品を比較して評価し、選択しよう。というのが健康な考え方だと思うのだけれど、そうではなくて
「私が好み、信じているA社の製品が唯一無二で絶対にして正義であり最上で至高である」
といった考えで「そのほか」「外の世界」を全く見ず、知らないまま、不具合や不都合や不利益があってもなおしがみつき続ける。
という状態が実際に散見されるが、なにかこう非常に盲目的で視野狭窄で本来の目的を見失い、あるいは目的と手段が入り混じり混乱してしまっているような気がする。
便利であったり生活を豊かにする、あるいはもっと単純にすごい、おもしろいガジェットの恩恵を受けよう。といった本筋を見失い、「信仰心」をかたくなに守ることばかりにやっきになってしまっているかのようにも感じる。
メーカー非推奨、非対応、または規格上相性の悪い最新鋭の機器同士をガチャガチャと接続し、「私が信仰しているA社の機器ではまともに動かないからこの最新デバイス「Y」は低評価」
だとか。
いやそこは素直にいったん推奨対応機器同士を接続して本来のフルポテンシャルを発揮できる状態で試用体験してみればいいのでは?というところをなぜかかたくなにやらない。といったケースも見受けられるし...
上記のケースも、「最新デバイスの機能や性能をいろいろ試してレビューしてみる」ということが本来の目的なはずなのに、「自身が今まで愛用してきた手持ちの、既存の機器への信仰心」のほうが打ち勝ってしまっていて、冷静かつ正当なレビューができていないのでは?と感じるのだけど...
なにかがおかしい。なにをやってるんだろう?と。
自分の目には不思議に映る。
別の例だと、もう何年、何十年も前の「過去の事例」を持ち出してきて「過去にこのメーカーの製品で不利益を被ったからもう絶対に「このメーカーの製品は使わない」「ライバル社のこっちのみを使う」とか。
今現在改善されて実際の品物が良くなってさえいればそれでいいのでは?
これも「実際の品物そのものの良し悪し」ではなく「特定のブランドへのイメージ」「信仰心」などといった抽象的、感情的要素に引っ張られすぎていやしないだろうか?
「メーカーの会社名が変わった」「以前のメーカー名のほうがよかった」等、表層的な部分にばかり固執しているパターン。
メーカー名が変わろうが実際の製品の品質には何ら関係ないし、製品現物が良いものであれば購入し使うし、自らが欲するモノではなければ使わない。それだけの話なのではないだろうか?
「感情」や「イメージ」にひきずられ、「実際の製品がどうなのか?」という"目の前の事実"が見えていないようにも見受けられる。
気にするべき箇所が偏重心すぎる。
「感情」と「理論」を切り分けて考えられない稚拙な思考パターンですらあるような気がする。
IT、デジタル機器は「道具」で「手段」だったはずだけど、いつからそれ自体が目的になり、妙な神格化をされ「宗教めいたもの」と化してしまったのだろうか…?