VRChatを丸5年やってきた今の所感
(2024年9月24日初版投稿(Ver.1-A))
2024年9月末でVRChatをプレイし始めて丸5年になる。
VRChat5年やってる割には根本的にヘンに現実主義的だったり視点や感覚が冷めすぎちゃってるのかもしれないなぁ...w
そもそも「つらい現実からの逃げ場」って感じでもないし...
公園や遊園地、ゲーセン系アトラクション施設に遊びに行ってるようなものだし。自分にとっては。
べつに本来の素の自分ではない、ほかの何かになりたい願望。みたいなのもないし。
なににもなれなくてもならなくてもいいし。
こんなもんたかがVRSNSなんて趣味・あそびなんだしそんな形式ばったり杓子定規になってもなぁ...wってのもあるし...
初心者案内とかも別にVRChat運営とかに頼まれたり薄謝が出るとかでもなんでもない、単に任意のボランティアでしかないよなぁ?とか。
義務でもなんでもないし。やりたいヤツが勝手にやってるだけだし、やりたいヤツできるヤツは好きにやりゃあいいんじゃないスかねぇ...って感じだし...
「責任」とか「義務」とか「役割」とか背負わんでもいいものを背負うことに喜びを見い出す。ってんならそれはそれでいいんじゃないの?やってれば。
こっちは「たかが趣味遊び」でそんなもんいちいち背負うのダリぃしやらんけど。とかそういう感じだったり...
だから「責任とか義務とか役割を背負うのが好きな、集団の中で何者かになりたいタイプ」の責任感義務感、個人の中でのローカル正義感を振りかざされたり押しつけられたりしても「知らんがなw」って感じだったり。
土台「何かになりたい」タイプではない人間にそれをぶつけられてもなぁ...w的な
ワールドやコミニュティの栄枯盛衰とか人の流れや導線がどうとかも超どうでもいいし興味ないし。
「どっか人が集まってておもろそうなところがあれば行くし、そこがなくなったら別のどっか人が集まってるところさがして遊びに行くところが変わるだけ」だよなぁ...?と...
つかそんないちいちこむずかしいこと考えながらプレイしてるんか。
それって「楽しい」のか?とかもあるし...
いち個人、一般ユーザー/プレイヤーが「日本中どころか世界中にプレイヤーがいるソーシャルサービスの中の、人の流れやコミニュティの動向をコントロールできるワケねーじゃんw
そこを仕切ろうとしていることや仕切れると思っちゃってることがまずすげぇし意味わかんないwwwとも思ってしまっている自分もいたり
あとあれ。アバター1個買っても現状のシステムでは本来遊び場を提供してもらってていちばん世話になってるハズのVRChat運営本体に1セントの金も落ちないのにそんなにアバターとかに大金使ってもしゃあないよなぁ~とか。
むなしいし意味ないよなぁとかちょっと虚無ってきちゃってる部分もあったり
大枚はたいてゴリゴリにハイクオリティなアバター買って「どうだ」「すげぇだろ」ってやってみたところでセーフティとかPCや単体VR機器の性能差にはばまれてほんの一握りの人間にしか見えない、見てもらえない。見てもらうためには設定を操作してもらわなきゃならない。とかめんどいし虚しくね?とか
承認欲求、自己顕示欲に対して自己矛盾していっちゃう気がして。 それで急にスンと冷めてきちゃってたり。 無料のアバターとか千円未満ぐらいのレトロゲーみたいなローポリアバターで良くね?ってなってきちゃってたり。自分の中で。