はいよりとうはとLinux note版(Ver.16-A)
(初出:2021年1月16日(Ver.16-A))
(過去にPixiv BOOTHに投稿したものを加筆・修正してこちらにもアップロードした)
はいよりとうはとLinux
Linux。OSの一種。端的に言うとWindowsでもMAC OSでもない、「これがないとパソコンがパソコンとして動かない」というモノ。のひとつ。
(このあたりの詳細については自分よりも詳しい諸氏はいくらでもいるので大幅に割愛)
最初にその存在を知ったのは本屋で月刊の雑誌を見かけたことが発端だっただろうか。
「中古パソコン・古い型落ちのPCの再生利用術」といった特集が組まれていて、表紙の中心にでかでかと見出しが載っていたのが目にとまって。というのがきっかけだった。
当時はいろいろとあってうだうだ、だらだらとムダにフリーター生活を続けてしまっており、とにかく金がなくて中古の、それもジャンク品に近い型落ち・世代落ちしたパソコンでなんとかしのいでいたような状況で、なんとかして安い、旧式の貧素なマシンでもそれなりに快適に利用できないだろうか?というのを模索し続けていて...
「Windowsそのものの内部で動作している不要なプログラム/バックグラウンドサービスを徹底的に停止し動作させないことでわずかでも動作を軽快に、快適にする小技」
みたいなものをひたすら、ちまちまとやってはしのいでいたというなかでのリナックス、とくに軽量版ディストリビューションの発見というのは、少しおおげさな表現かもしれないけれどもなにかどん底の中で光明を見いだせたような、救われたような心情とともに新鮮な驚きがあったと記憶している。
具体的に最初に触れたのは"パピーリナックス"で、その「ハードディスクにインストールしなくてもCD-Rから直接起動してパソコンそのものを制御・動作させることができる」という機構、勝手な憶測だけどたぶんおそらく昔のフロッピーディスクの"システムディスク"を用いてパソコンを動作させていた頃の方法論の再利用なのではないか?というその発想の転換・温故知新的とも取れるスタンスには少なからず衝撃を受けた。
個人的趣向として「技術やテクノロジーのセオリーを超えた応用利用センス」のようなものに並々ならぬ興味と関心があって...
2
自分では残念ながら「プログラミング」に関してはBASICの初歩で挫折してしまい、あまりそれほど興味も面白味も(自分でやるという上では)感じられはしなかったものの、だからこそ。と言ってしまっていいものなのかはわからないが"メガデモ/PCデモ"のシーンなんかにもLinuxの存在を知る以前から興味があったりはしており「すげぇ世界だな...」と脳からドーパミンやらなにやらちょっと出てテンションが上がるほどの興奮や感動めいたものを感じていたりもしていたので、Linuxの軽量版ディストリにも自分の中では近しいもの、近しい"匂い"を感じる部分があって魅かれていったという経緯。
とは言ってもとりあえずインターネットに接続ができてなにかしらのバカ動画を見たりネットサーフができればいいや。というノリだったので、ほぼほぼGUIベースでしか利用していないという、もしかするとひどく「にわか」だったりするかもしれない。
コマンドも片手で数えられるほどしか知らないし、あとはせいぜい、やはりGUIベースで動作するディスク/パーティーション管理ツールでWindows側のハードディスクやデータ回りのトラブルを解決してはバイト仲間や知り合いに小銭もらったり現物支給で食料分けてもらったりしていた程度。
だがしかしなんだかんだで10年近く、サブシステム的に、趣味程度に使ってしまっている。
最初期のApple("マッキントッシュ・クラシック"が象徴のようなマシンだったあの頃)のような、なにかこう...ヒッピー文化?を源流とするようなインディペンデント精神、謎のワクワク感というのがいま現在ではLinuxカルチャーがある程度引き継いでいるようなところもあるのではないだろうか?という気もしている。
Appleのマシンの「画面内のアイコンを操作すると実際にフロッピーディスクやCD-ROMがイジェクトされて出てくる」みたいな部分と、たとえばLinuxのライブブートの仕組みやext4ファイルシステムの「ある程度のファイル自身の自己修復機能がある」などはなにか共通した"匂い"、所在の知れないワクワク感「なにこれ!?スゴくない??」といった何かがある。と感じるし...