過去と半生について note版(Ver.12-A)

(初出:2021年1月10日(Ver.12-A))
(※過去にPixiv BOOTHに投稿したものを加筆・修正してこちらにもアップロードした)


はいよりとうはの過去と半生について。

当初某界隈で”マッハ新書”なる単語をひんぱんに見かけるようになった頃「はいよりとうはのグチと言い訳と甘え」なんてタイトルで「親」とか「学校」といった項目ごとに何章かに分かれたそれなりの行数・ページ数のもの、自分の半生みたいなものを一度実際に勢いまかせに書きなぐってはみたものの、あまりにいろいろとダメすぎてこっ恥ずかしくて全部完全に消去した。

こんなの誰が読むのか。誰も読まないっつうのな。

こんなしょうもない辛気臭いハナシ...こんなネガティブな内容内容のものを人様に向かって提示・発信するもんじゃねぇな。と。

他者が読んでもどんよりするだけで面白くも楽しくもなんともないだろう。こんなもん...!と、なにか自分自身に対して「なにやってんの?」とキレてきて。


どうせなら...同じ「なにかを世の中に出力していく」のなら、見た人、読んだ人が「面白い」「楽しい」「興味深い」「なんだかよく意味はわからないけどとにかくすごい」と感じるようなものを提示していくべきかな、提示していったほうがいいかな。
提示...していきたいな。
少なくともあまりネガティブなものを発信してしまうというのもちょっとどうかな。というふうに思いなおした自分もいて...



某動画サイトの初心者生配信の中の一部の最底辺の配信チャンネルじゃあるまいし。

なんか...あの...なんだろ?「イラストを描くことそのものが心底好きであるいは興味があって描いてる」っていうんじゃなくて、ただ単にテメェの孤独感や疎外感を穴埋めするためだけにやってんじゃね?それ。みたいな。

「誰かに自分のことをわかってほしい」みたいなの。

特定のコミュニティの中だけにずっとこもってて、その中だけでウチウチで...内輪というか常連?同士だけで馴れ合いや傷の舐め合いとかに終始して、何の進歩も向上も進展もせずにずるずるだらだらやってるだけなんじゃね?っていう。

いや、ただ単にそういう良くも悪くも「馴れ合いや傷の舐め合い」だけをやれてりゃいい。っていうんならそれはそれで別にいいんじゃね?とは思うけど。


でも実際口では「神絵師になりたい」「OOができるようになりたい」「OOをやりたい」とか言ったりもしているワケで、いやそれ口でゆってる願望に対しての行動がともなってなくないか!?みたいな。

いわゆる俗に言う「どうやったら“できる”ようになるか」じゃなくて
「“できない”“やらない”理由をさがして言い訳や逃げに徹してしまってる」パターン。


くだらないっていうかしょうもないっていうか。


「いやだから一体何をどうしたいの?“絵がうまくなりたい”だとか“それでメシが食えるようになりたい”ということが目的・目標なんだとしたならば、その目標や目的に対してやってることややるべきことがちょっと違っちゃってんじゃね?」

「その目的・目標に向かうために必要なこと。って観点で考えたら足りてないものが多すぎんじゃね?」
と。

少なくとも自分はそう思ったし感じたというか。


別に絵に限ったことじゃあなくて、なんかしらの創作、モノづくりをやるといううえで、初心者だからこそそんな安っぽい、しょうもない、身の丈に合わないヘンなプライドや自尊心なんかかなぐり捨ててやっていくべき...やっていったほうがよくね?とか思ったんだけど。

たとえなんかああいう動画配信とかはじめたならはじめたで、見にきてくれてる人らが自分と同じ初心者だったり、そもそもどこの馬の骨とも知れない見ず知らずの一般人だったとしても、他者からの視点で見た場合と自分で思ったり感じていた?「自分ではこれこれこういうつもりだった」っていうのは当然ちがったりもするし、なんかそういう
「他者からの視点(による意見や感想)」を得ることでなにかしら気付けたり改善や向上ができることもあるかもわからないし、とりあえずいったんはなんでも受け入れ、飲み込みはする...けどなぁ?自分だったら。とか、なんだろ?いろいろと「考えさせられる」ものがあったというか。

そういう意味ではあれはそれなりに「いい経験」なほうではあったかもしれない。


総じて「あー。なんか...あまり、こう...単なるひとりよがりになってしまったりネガティブな部分、グチとかぽろぽろ出しちゃうってのもちょっとなんていうか印象良くないなぁ...」といったような、今まであまり「動画サイトの生配信」を見たことなかったんだけどたわむれに見に行ってみたらいきなりどハズレくじ引いちゃった!的なこと(経験?)がちょっとあったりしていて。


のちにほかの生配信もいろいろと見てまわってみたらもうぜんぜんヨユーですげぇ楽しそうに絵を描いてる人とか「まぁだいたいこんなもんでしょーガハハ(笑)」みたいないいかんじに、いい意味でテキトーでユルい人とかも(ちゃんと)いて、ちょっと安心したというかホッとしたというか。
「好きなことをやる」ってこういうことだよな。っていうのもあったので。

しょっぱなからあんまし肌に合わない人物とかち合っちゃった。とか、世の中いろんな人間がいるなやっぱ。といった感じ。


ちょっとばかり...いやかなり話がそれてしまった感もあるけれども、とにかくなにかそういう...「なんだお前!?人に同情してほしいのか?」っていうような...なんていうんだろう....自分自身のこと、過去の古傷みたいのとか生い立ちみたいなのとかを全部さらけだす?みたいなマゾヒスティックな要素?素養?部分?はどうも自分は持ち合わせていなかった/持ち合わせてはいないっぽい。


そういうの出すのもこっ恥ずかしいし情けなくなってくる感じあるし自分の中で。

あと自分の過去のいろいろを掘り返す作業自体がげんなりしてくるというかどんよりしてくるというかキツいし。精神的に。

たぶん、おそらく個人的な感覚・意見めいたものなので、べつに自身の過去とかいろいろを掘り返して人前にさらすということが大丈夫なひとはそれはそれでやるのはぜんぜんかまわないんじゃないかとは思うけど。

でも自分はイヤだ。やりたくない。そう思い、考え、感じるほうの人間。


いつまでもだらだらずるずると「過去」をふりかえってひきずってばかりいるというのもあんまり建設的ではないような気がするし、逆にヘンにきょろきょろとうしろとかを振り返ったりしてしっかり「前を向いて」歩かないから蹴っつまづいてころぶんじゃないかなぁというふうにも思う。


__なので、あんまり、こう...言い方は悪いかもしれないけど己の過去の古傷みたいなのをさらけだしてお涙ちょうだい的なのは...控えるというか「はっ。ちゃんちゃらおかしいわ!!」と鼻で笑い飛ばすぐらいでやっていきたいというか。


自分が発信・提示したもの・ことで、見た人聞いた人が「面白い」「楽しい」「なんかよくわかんないけどすごい」と感じてさえくれればそれでいいし満足というか。

自分自身という人間についてはどうでもよくて。

一生道化でいいっていうか。ってこんな書きかたをしてしまうと投げやりで自暴自棄になっちゃってるっぽいか(笑)(※投げやりにも自暴自棄にもべつになってない。つもり)



おそらく自分はけっこうどちらかというとニッチ趣味/マイナー趣向だったりもするんだけど。

でも...どこかで本当に「ひとりよがりの自己満足で開き直れない」というか。

芸人気質?

なにかしら思いつきでポロっとくっだらない、しょうもないギャグとか放ったりして...あとバカ丸出しのネタイラストとか世に放ってたりとかして、それで面白がってくれる人が、ギャグセンスとかが近しい人間がどっかに1人でも2人でもいいから自分のやったことで面白がってもらえたら自分も楽しい。とか。満足?みたいなのもどっかであるので。


「己の古傷さらけだし大会」だとかみたいなああいうのじゃないアプローチで(自分は)やっていこう。と思う。というか思ってて。


それで...そのへんで「なにかほかのネタや題材を」とネタ出しアイデア出しみたいなのをどうしようか。何を書こうか。というのがなかなかひねり出せなくて完全になにか波に乗り遅れたった感もあるけど。

ものっすごいいまさらながら気まぐれにちょっと”波”に乗っかってみた。便乗してみた次第(笑)

結論。己のしょうもない過去は墓まで持っていってこういうような場で出すのはなるべく、できるだけやめとく。
おもしろおかしくてきとーにやりたいことやりちらかしていきたい。
以上


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