ネパールで聞いた怖い話【怪談・奇妙な風習】
僕がネパールへ旅行に行ったのは、もう5年も前の話だ。
その時一緒に行った日本人の友人のツテで、なんと2週間もカトマンズにあるネパール人の家庭にホームステイさせていただいた。あれは、自分の人生の中でも最高に素晴らしい経験だった。
そこで実際に見た現地の生活・体験させてもらった文化はどれも非常に興味深く、面白いことが幾つもあった。
がしかし、いかんせん年数が大分経ってきたせいで、それら思い出は薄れつつある。日記やらブログやらをつけておけば良かったものの、そういった記録を残しておかなかったため、記憶は、写真だけを残して少しずつ色あせ消えていく。
あれだけ珍しい経験をしたのに、なんとも惜しいことをしたものだ。
ところが、自分のPCのドキュメントフォルダの中を見てみると、奇妙なタイトルがつけられたwordファイルがひとつ残されている。
"ネパールで聞いた怖い話"
開くと、そこにはネパール人の友人から聞き取った話がメモされていた。
これはその友人アシェスとスジン、日本人の友人と僕の4人でポカラに遊びに行ったときのものだ。
ペワ湖の近くに宿を取った僕らは、夕飯まで特にすることも無かったので宿のバルコニーでだらだらしていた。夕日に照らされ輝く湖を眺めながら、ビールを飲み、タバコをプカプカさせていた。
僕らはそこで色々な話をした。お互いの国のこと、文化のこと、自分たちの将来のこと・・・。
ずいぶん長い間、熱のこもった話をしていたと思う。
そしてそのうち、なぜか、それが「怪談ばなし」になったのだ。
他にも面白い話や驚いた話などたくさんあったはずだ。
それなのに、だ。僕が持ち帰ったのは、その「怪談ばなし」だけだった。
もともと僕が怪談好きといったせいもあるが、ネパールでもその手の話はよくあるらしく、だいぶ盛り上がったのを記憶している。
ネパールの友人曰く、幽霊や霊魂といったものは、この国でも広く信じられているそうだ。
それがどこまで宗教的に、つまりヒンズーや仏教と関連して信じられているのかは分からなかったが、とにかく何か奇妙なことや不思議な問題が起こると、「これは幽霊の仕業だ」「何かの呪いだ」という話になることは多いと言う。
そういった問題が起こった時は、「祈祷師」を呼んで色々お願いするのが一般的らしい。祈祷師は一部の迷信深いネパール人だけが頼るようなものではなく、都会暮しのお金持ちですら何か怖いことがあったら相談するという、割と身近な存在のようだ。
またネパールには幽霊だけでなく、いわゆる「妖怪」のようなものもいるらしい。それらは世代を渡って語り継がれ、今でも恐れられている。
さて、前置きが長くなってしまったが、いよいよメモしておいた話の内容を書こうと思う。
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その① 辻道の家
この話をしてくれたのはスジンで、彼の叔父さんの話である。
叔父さんはカトマンズで家を買った。家は4階建て。豪邸であったかはどうかは分からないが、カトマンズというネパールの首都は非常に建物が密集している地域のため、建物を横に広げるのが難しく、代わりに上へ階層を重ねて家族で住めるスペースを確保している家が多いようである。
叔父さんの家には、1人の女性のお手伝いさんが住み込みで働いていた。ネパールのお金持ちの家にはお手伝いさんがいるのが普通らしい。
お手伝いさんは家の最上階の部屋があてがわれ、そこに住んでいた。
しかし働き始めて1ヵ月ほどすると、「もう限界です。辞めさせて欲しい」と叔父さんに願い出てきた。
驚いた叔父さんがわけを聞くと、お手伝いさんは次のような話をした。
とある晩、お手伝いさんが夜中に目を覚ますと、通りに面した窓に何か映っているのが見えた。
見ると、窓の外で何かが浮いている。
それは、首のない女の身体であった。その隣には女の首もあった。
空中に浮かぶ女の頭が、鋭くお手伝いさんを睨みつけたという。
また別の晩になると、その窓とは反対側の台所の窓から、また首のない女の霊とその首が浮かんでいた。
それが1ヵ月ほど続いたので、いよいよお手伝いさんも耐えかねて暇を申し出たという次第らしい。
お手伝いさんの話を聞いた叔父さんは、すぐに祈祷師を呼んだ。そして祈祷師に家を見てもらった。
祈祷師によれば、「問題は、この家が辻道にあること」だと言う。
辻道とは、つまり道が交差した十字路のことだ。
辻道は霊の通り道になるとネパールでは信じられており、この家はその霊道を塞いでしまっていると言う。
その女の霊は、自分の通り道にその家が建っていたせいで通れなくなってしまったため、それで怒って出てきたという。
とはいえ今さら家を動かすわけにもいかない。そこで祈祷師にお祓いをしてもらうことにした。
ちなみにその霊を目撃したのはそのお手伝いさんだけでなく、スジンの従兄弟も、廊下を通り抜ける女の姿を見たという。
またその家の主人である叔父さん自身、夜に最上階からドタドタと走り回る音が聞こえたので、「お手伝いさんに何かあったのかな?」と思って見に行くと、最上階には誰もいなかったという。
これらの怪異もお祓いが済んでから無くなり、女の霊も出なくなったという。
その② 白いサリーを着た女の怨霊
ネパールの都市伝説というか、古くから伝わる妖怪のようなものの話。
アシェスが子供のころ(6歳くらいと言っていたか)、お祭りの日の晩に友達と夜道を歩いていたという。
アシェス曰く、そのお祭りはネパールにおけるハロウィンみたいなもので、その晩は子供たちだけで出歩くことが許されていたという。
真っ暗な道を歩いていると、その行く先の坂道、10メートルほど先に女性の後ろ姿が見えた。
そこは街灯もなにもない真っ暗な坂道であったはずなのに、なぜかその女性の姿だけは、白い服装、長い髪であることも含め、はっきり見えたという。
それに気づいたアシェスらは震えあがり、一目散に逃げ帰った。
一体何がそんなに彼らを怖がらせたのかというと、その女性の姿がネパールで語り継がれる「ある妖怪」そのままだったからだ。
その妖怪の名を、キッチカンディーという。
キッチカンディーとは、強い嫉妬と恨みをもって死んだ女の怨霊であるという。
彼女は、きまって白いサリーを着て、長い黒髪を結ばずに下へ垂らしているという。また彼女の顔は、非常に美しいとも言われている。
これだけではどこが妖怪なのか分からないだろう。また、どうやって普通の人間とそのキッチカンディ―を見分けるというのだろうか?
その答えは彼女の「足」にある。
キッチカンディ―の足は、前と後ろが逆なのだ。つまり、彼女の正面を見ると足は踵が向いており、背面を見ればつま先が指している。
アシェスに「その女の足は前後逆だったのか?」と尋ねると、「そこまでは見えなかった」と言っていた。「それじゃあキッチカンディ―かどうか分からないじゃん」と突っ込みたくなるところだが、アシェスがその女性をあまり観察している余裕が無かったのには、理由がある。
男はキッチカンディ―と絶対に目を合わせてはいけない、と言われているのだ。なぜなら、男が彼女と目が合ってしまうと必ず見初められしまい、つまり憑りつかれてしまうからだ。
憑りつかれてしまった男のもとには、その後毎晩キッチカンディ―があらわれるという。そして次第に生気を吸い取られ、やがて男は死んでしまう。だからもし男性がキッチカンディ―に出会ってしまったら、絶対に顔を見ない・目を合わさないようにして逃げなければならない。
またアシェスは付け加えるようにこうも話していた。
「白いサリーは、普段女性は絶対に着ない。なぜならそれは誰かが死んだときにだけ、着るものだから」
夜中に白いサリーを着た女性が一人出歩いているだけでも、十分異常な姿だったということらしい。
それでは女性がキッチカンディ―に出会った場合、どうなるのだろうか。
これは、アシェスの親戚のおばあさんの話。
大昔、まだカトマンズに流れる川の水も今のように汚染されておらず綺麗だったころ、おばあさんは夜に川へ水を汲みに行ったという。
川へ着いてみると、夜だというのに、川辺で洗濯をしている若い女の姿が見えた。「こんな夜に洗濯をするなんて、おかしな人だ」と思ったが、無視しておばあさんは橋に上がり、紐のついた桶で川の水を汲みはじめた。
水を汲んで帰ろうとすると、先ほどまで川辺にいたはずの女がいつのまに隣にいた。びっくりするおばあさんをよそに、その女はおもむろにおばあさんの桶をつかむとそれを奪い取ろうとした。
当然、おばあさんも桶を奪われまいと、必死で桶をつかみ抵抗する。しばらくの攻防の末、おばあさんは桶を奪い返すことが出来、そのまま走って逃げることが出来た。
アシェス曰く、「もしおばあさんが桶を女に奪われていたら、おそらく死んでいたであろう」と。
いきなり死ぬとはなんとも不条理な話だが、この話から分かる通り、女性はキッチカンディ―と目を合わせても憑りつかれることはない。しかし、精神的に弱いものは、その女に負けて死んでしまうのだ、というようなことをアシェスは語ってくれた。
また、キッチカンディ―は鉄の音が苦手だという。鉄がぶつかる音や擦れる音を出していれば、近寄って来ないとも教えてもらった。
その③ 床下の少女
ネパールにはこういう怪談がある。
ある家族が家を買った。
しかし、その家では怪奇現象にみまわれた。
「少女」の幽霊が出るのだ。
困った家族は祈祷師を呼んだ。
家を見て祈祷師はこう言った。
「この家の床下を掘りなさい」
言われた通り床下を掘ると、そこにあったものはーーー、
少女の白骨化した死体であった。
これが日本だったら大事件だろう。死体遺棄か、はたまた殺人か・・・。
しかし、その家族はそれを見て全てを悟った。
その理由を説明するには、まずネパールのとある風習について話さなければならない。
この話をしてくれた友人たちはネワール族(ネワリ)なので、ひょっとしたらネワール族限定の風習かもしれない。
ネワリの娘は年ごろ12、13くらいになると、自分の部屋に12日間籠る儀式をしなければならない。
その儀式をする時期とは、すなわち娘が初潮を迎えたときだ。
その間、娘は太陽の光を絶対に浴びてはならない。よってその部屋も窓を完全に遮光して日光が入らないようにしなければならない。
またその12日間は、自分の部屋から一歩も出てはならない。外はおろか、その部屋からも出てはいけない。だから当然、学校も休みだ。トイレに行くときだけは、布などで顔を隠したうえでお母さんなどが手を引いて連れて行くという。
期間中はもうひとつ厳しい禁止事項がある。それは、男性と会うことである。父や兄弟といった家族であっても、期間中娘と面会することは許されない。
しかし女性の出入りは一向に自由なので、お母さんはもちろん、女友達が部屋に遊びに来ることなどはまったく構わない。
この儀式はネワリの女性にとっての成人の儀礼をを兼ねているらしい。だから全ての女の子が大人になるためにはやらなくてはならない。
さて、なかなか珍しくもハードな儀式だが、この儀式自体は別にオカルトでも怪談でもない。れっきとしたネワール族の伝統だ。
問題は、この儀式の期間中に女の子が死亡した場合である。
別に期間中に危険なことをするわけでも何でもないので、亡くなることはめったにないだろう。
しかしもし万が一、病気か何かで女の子が期間中死んでしまったとき、その少女の遺体は、通常の仕方で埋葬してはいけないことになっている。
というのは、まずもってその遺体を普通に担いで階段等で下に降ろしてはいけないのだ。たとえ死んでしまっても、部屋から出してはいけないのである。
とはいえそのまま部屋に置いておくわけにもいかない。それではどうするのか? 答えは、「床に穴を空けて下に降ろす」だ。
例えば、もしその女の子が死んでしまった部屋が家の3階であったとする。その場合、まずその部屋の床に穴を空け、そこから女の子の遺体を下の2階に降ろす。
2階に降ろした後は、同じようにまた2階の床に穴を空け、そこから下の1階に降ろす。
こうして地上階にまで降ろされた遺体は、家の床をそのまま掘り下げ、そこにそのまま家の下に埋葬されるのである。
この一連の作業も、また葬儀のやり方も、それ専用の複雑な儀式がいくつか必要らしい。それは当然、専門の司祭というか祈祷師みたいなものを呼んでやってもらう。
この儀式が滞りなく行われたのならば、問題(?)はないという。マズいのは、この一連の儀式に何らかの不備があった場合である。この儀式・葬儀がちゃんとした方法で執り行われなかった場合、その家は呪われてしまう。
呪われてしまうとどうなってしまうのか、その例が冒頭の家を買った家族の話である。早い話、その女の子の幽霊が出てきたり、その家に不幸がおとずれたりするらしい。
その家族はその伝承を知っていた。だから特段驚かず、むしろ死体を発見して安心したかもしれない。幽霊の正体・原因が分かったのだ。
その後祈祷師が改めてお祓いをしたことで、その家に再び少女の霊が出ることは無かったという。
実際にその儀式の期間中に少女が死亡してしまうケースはまれだろう。がしかし、まったく無いわけでもない。
これはスジンの知人の話。その人が建物を取り壊して建て替えをしようとした際、その土地から女の子の人骨が出てきたという。そのときもやはり祈祷師を呼び、お祓いをしてもらった。
実際に、あることはあるのだ。
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以上の3つが僕の書き残したネパール怪談メモだ。
これだけ?って言われてしまうと悲しい。
あと「怖い話」ってタイトルつけた割にはさほど怖くなくて申し訳ない。
しかし、こうして遠く離れた国の、文化も宗教も違う世界の怪談を聞くと、異なる点だけでなくむしろ僕らの聞いた事のある話と似たところがいくつかあることに気づかされる。
◆日本の辻神と幽霊
例えばひとつ目の「辻道の家の話」の、「辻道は幽霊の通り道」という考え。
これを聞いて僕が思い出したのは、日本の辻神だった。
辻神とは、中国~九州地方に伝わる妖怪で、辻に棲まい様々な災いをもたらすという。
(昔、子供のころ読んだ水木しげるの妖怪図鑑にも載っていた。狂暴な一反木綿みたいな見た目であまり強そうに見えなかったが、当時住んでいた家がちょうど辻道の角だったのでちょっと怖くなったのを憶えている・・・。)
辻は古来より現世と来世の境界になっているという説もあるようだ。
また、沖縄へ行った時に方々で見かけた「石敢當」と彫られた石。
あれは辻や丁字路に置くことで、境界線を越えてやってくる様々な「魔」を防ぐための魔除けだという。
ネパールにおける辻道=霊道というお話と、日本の辻神信仰の間に、何かしらの結びつきや共有するルーツがあるかどうかは分からない。
しかし、単に交差した道に「魔」の入り口を見るというふたつの文化の似通りは、興味深い。
ふたつめの女の妖怪、キッチカンディーの話。
その見た目の特徴を聞くと、長い黒髪に白装束という日本の古典的な幽霊像を思い起こす。
昔の幽霊画に描かれた日本の幽霊には足が無いけれど、ネパールの妖怪は足の向きが逆。
どちらも「足」に「非人間性」が現れるところに類似性があって面白い。
それと夜な夜な男のもとに来て生気を吸うというのは、西洋のサキュバスを思い出す。
またキッチカンディ―の鉄という弱点だが、日本でも鉄には魔除けの力があると信じられていたというのを聞いたことがある。ヨーロッパにおいては、馬の蹄鉄を玄関などに飾るのがポピュラーな魔除けだ。
このように古今東西のオカルトの共通点を挙げていくとキリがないが、人間が怖いと感じるもの、「魔」には意外とグローバルな共通性があるのかと思うと面白い。
◆ケガレ(穢れ)
最後の女の子の儀式に関しては、日本と全く違っていて面白い。
この儀式が存在するのは、日本とは異なる独特の「ケガレ(穢れ)」の教えの影響が大きいと思う。
ネパールにおけるケガレとは、日本人の僕らが普段気にしている汚い(きたない)とか不潔みたいな、いわゆる衛生概念と異なる。
衛生という概念から見れば、ネパールという国は日本と比べ、まぁ・・・その・・・かなり「ワイルド」だ(笑)。
つまりケガレとは、道に牛のウンコと生ごみと何かの死骸が混ざって強烈な匂いを発しているネパールの日常風景とは関係のない、「不浄」の教えだ。
有名なのだと、ご飯を食べるのは必ず右手で、左手は絶対に使わない。
それは、左手はお尻を拭くのに使うから、ばっちぃから、というのもあるだろうが、そもそも左手は「不浄の手」なのだ。だから食事以外でも、左手は握手や人にモノを渡す時なども使ってはならない「忌手」とされている。
実際にネパール人の家庭に泊まらせていただいていてこのケガレに関するカルチャーショックをいくつか体験した。
例えば、一緒に食事をしていた日本の友人が「もうお腹いっぱいで食べられない」と言うので、「じゃあ僕が貰うよ」と彼のお皿に手を伸ばした時のこと。ネパール人の家族から「それはやってはいけない」と窘められた。
一瞬、それが「マナー違反」だからなのかと思った。そうではない。他人が使った食器は、ケガレているそうなのだ。だから一度人が手をつけた食器を使い回してはいけない。その上の食品もシェアしてはいけないのだ。
また、食事で使ったお皿やスプーンなどは、調理で使ったお鍋などと洗い場が別である!
なぜなら、人が使った食器はケガレているので、ケガレていないものとは別に洗わないとならないからだ。
このように、ネパールにおいてケガレはシリアスな教えであり、日常生活の中に根付いている。
女の子の儀礼の話に戻すと、なぜ初潮を迎えた女の子をここまで隔離し外界との接触を制限するのかといえば、それは女性の月経がケガレとされているからだ。
僕らからすれば女性の体の自然現象をそのように扱うのはなかなか世知辛い、不条理なもののように思えるが、そういう教えの元ではそういうものなのだ。
月経をケガレとして忌避する考えは、ネパール(ヒンズー教)だけのものではない。日本の信仰や風習にも、同じような概念は見られる。西洋のユダヤ教やキリスト教でも同様だ。
ネワール族はこうした古くからの教えを今日まで守り続けているだけなのかもしれない。
しかし、それでも考えてしまう。
部屋から出られず、日の光を浴びることもなく、ひょっとしたら父や兄弟に看取ってもらうこともかなわず、亡くなっていった少女。
ネパールでは、遺体は火葬されるのが一般的という。
火葬されることなく、自宅の下に埋められる少女。残された家族は、その後もその家に住み続けたのだろうか。
もし少女の幽霊が出てきたとしたら、一体何を訴えかけてくるのだろうか。
怪談というものは、単に怖い・不気味というだけでなく、そこにいる人たちの暮らし、文化、心情について考えさせられる。
また旅をしたときは、怪談話を集めてみたい。
このノートを呼んでくれた方も、どこか遠くへ出掛けた際は、ぜひその土地の「怖い話」を聞いてみて欲しい。そして僕にも教えて下さい。