noteで記録daily#7 アーティスティックな世界観にワクワク

するんだよ。
1週間ぐらい前から久しぶりに訪れたそんな気持ちとタイミングで心地いい。
ここ4年ぐらいになるか。
僕は「落合陽一」さんが好きで、有料ニュースでよく記事や動画をみていた。
実際3年前、仕事の関係で会ったときにいちファンとして「日本再興戦略」を読んだことを伝えた。
落合氏「おっ、うれし」
僕「(笑)・・・」

その時の自分のレスポンスのなさときたら、思い出すだけで萎える。
緊張しすぎて話すらままならず、実際の会話10秒も満たなかったかも。
最近そんな落合さんがyoutubeで自己のチャンネルを開設していた。
聞き流すように聞いていると、会話が自然と頭に入ってくる。
・・あれ、前より言ってることが理解できるぞ
勿論、全部が理解できるわけではないが大体の話の脈絡で理解はできる。
大体物事の本質をつくから、アートをしているときの偶発的な面白さなんかみたりすると僕も面白く心地いい。
僕自身もアートまがいみたいなことしたことあって、すごい恥ずかしく反省したこともある。
とにかく真似ごととわかっていても、自分のオリジナルと勘違いして言い聞かせて自己を見てもらおうと必死になっていた。
その時はそれでよかった。
おもいっきりやって、叱られて反省して僕の中のアートは
ただ認められる為にやっていたものだから、完成したものに対して正直何も達成感もなかった。
話はそれたけど、とにかく本当の意味でアートしている人は自分の中で疑問に見出して何を残して意味も見出して毎日のように自然と思考が巡っているんだと思った。
当の本人はアートの一部なんて思ってなくて、あえて言うならばその言葉を使ってて、日常も含まれている。
自分が普段から触れているもの、においや、視覚なんかもあらゆるものが自分のしていることに結びついてひも解く感じなのかな。
僕もそんなことを考えるのが好きなので、思考や考察、哲学は好きです
そういった事、好きな人同士が揃うと、その空間では言葉が限りなく少なくも分かり合う魔法がおきるんだよな。
それが本当に心地いい。
無駄がなくて話が研ぎ澄まされていて、疲れなんて感じないぐらい楽しいと思える。
注意したいのは自分がこれが好きなんだと、思い込んで好きでもないことを続けていると感性が錆びつく可能性がある。ってことは生きてて学んだ。

終わり。

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