コンテンツは巡る
週刊文春は父が愛読していた雑誌でもあり、家にたまに置いてあった。サラリーマンなのにプレジデントよりも2ちゃんねるを見てる噂好きのオヤジであった。やっすい粗悪な紙の上に粗悪な記事が載っている雑誌であることは間違いないのだが、中吊り広告に載っている記事以外にも、さまざまなコラム、紹介記事があり、それなりに読める雑誌であった。何よりも文章として面白い雑誌と思っていた。
あれから15年以上が経ったであろうか。会社帰りに電車の待ち時間に買って読んだ、文春の記事を入り口として、不適切にも程がある、を1年遅れぐらいで見ている。というのも、最近読んだ週刊文春に流行語大賞「ふてほど」というところに対するツッコミ記事、能町みね子の言葉尻捉え隊にその内容が書いてあったからだ。なるほど、今年の流行語は全く把握していなかったが、ドラマのタイトルをゴリ押しで入れたんやなと気づく。その記事は、〇〇キャンセル界隈など、昨年2024年に流行った言葉をいちいち突っ込んでいるしょうもない企画であった。風呂キャンセル界隈というのがあるらしく、自分も人のこと言えず風呂頻度が下がりがちになるも、まぁくだらねぇなと思うものである。さまざまなメディアの媒体から、いつも通り野球チャネルに誘導するために、野球を流行語大賞にするのではなく、今回はテレビ業界に忖度した結果となっていたようだ。
ふてほど、内容を見ると、宮藤官九郎+阿部サダオという鉄板の組合せであり、池袋ウエストゲートパーク、タイガードラゴンでだいぶ良い組み合わせと思っていた。(とはいえ、これらのコンテンツは最近になって配信サイトから見た) ふてほど、宮藤官九郎の脚本力に陰りを感じつつも、連続ドラマ版のバック・トゥ・ザ・フューチャーというスキームに落とし込んでおり、丸ごとノスタルジーな作品になっている。テレビ関係の内輪な事情は共感できぬ部分は多いが、多少は共感できるポイントもあった。そしてそれなりに面白い。ムッチーの将来も気になるがそろそろ最終話に到達しそうである。
振り返ると、昨年まともに通して見たドラマと言えば、「地面師」である。これは妻の紹介でお勧めされたので見たが、石野卓球の音楽、そしてピエール瀧のもうええでしょ、がかなり上手く効いたヒット作であった。面白ければ、ドラマは見れるし、続くのである。そういえば堺雅人のヴィヴァンも1年遅れで見た。
面白いコンテンツがあると分かっていれば人は近づいていくものだが、アンテナとコンテンツが分離していて、アンテナによる誘導作戦とチープなコンテンツの切り抜きが支配している世界になってしまったようだ。そのため、練りに練られた台本、映画、コンテンツにたどり着けず、しょうもない猫ミームまとめ記事にたどり着いてしまうわけである。それでいいのか?
週刊文春も、雑誌としてまとまったコンテンツとしてみれば一般教養的でありいいと思うのだが、オンラインのネット世界と悪魔合体してわけのわからない存在になってしまっている。オンライン媒体は画面の中の文字をスクロールしていくのも快感ではあるものの、もはや中毒的であり健康に良くない。SDGs的にはデジタルのほうがいいのかもしれないが、多少のゴミになるのを受け入れた上で、あのやっすい紙に書かれた情報を吟味精査していくのもよいのかと思う。とにかく週刊文春は、「楽しくなきゃ文芸じゃない」プラットフォームではあると思う。AIのおすすめはもはや怪しい漫画だけになってしまってどうしようもない現状、ある程度教養のあるものに縋りたいものである。そのためには、自分の頭で選択をしてコンテンツを選んでいかないと、ということなのだろう。