偏質的俳句鑑賞-第二百五十五回 愛たとえばこの鯛焼の重さほど-寺田良治『俳句いまむかし ふたたび』
「愛」には質量もないし、実態はない。でも、それを鯛焼に見ることはできる。
「鯛焼の重さほど」の恋とは軽く見えるかもしれない。けれど、鯛焼を一緒に食べた思い出はかけがいのないほど重いのではないだろうか。
そういう心理的な重さがこの「鯛焼」には含まれている。
「愛」という概念に「鯛焼」という季語を媒介にして重さを見ることができた作者の勝ちだろう。
次回も良ければ読んでください。
「愛」には質量もないし、実態はない。でも、それを鯛焼に見ることはできる。
「鯛焼の重さほど」の恋とは軽く見えるかもしれない。けれど、鯛焼を一緒に食べた思い出はかけがいのないほど重いのではないだろうか。
そういう心理的な重さがこの「鯛焼」には含まれている。
「愛」という概念に「鯛焼」という季語を媒介にして重さを見ることができた作者の勝ちだろう。
次回も良ければ読んでください。