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施すものと施されるものがいた-関東大震災

「東京災難画信」三、都新聞 大正12年9月16日掲載

市役所の施しの自動車が、何か合図したのか、時刻を知つて待つてゐたのか、永楽町のある四辻へ自動車がとまると、その辺の塀の蔭から、社宅の裏門から、ぞろぞろ血を持った男や女が、一斉に走つて出た。車上の男が、「二列に並んで下さい」と号令をかけると、逸早くずらりと二本の人間の線が出来る。私は、不思議なこの二本の黒い線を暫く見てゐた。その方へレンズを向けると、中でも年若い男は、それを見つけて非難するするような険しい顔をするものと、少し気恥ずかしい顔をするものとを見た。殆ど腰のもの一つで皿を高くさしあげて人を押しのける年老た女をも見た。私は何か気の毒な気がして、その場に長くゐるに堪へなかつた。
恵む者が、恵む心を忘れないためであらうか。
施される者が、施される意識を持ち過ぎるためであらうか。私は知らない。

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私は夢二の最後の三行を絵を見ながら何度も読み返した。

市役所の大きな旗を持ち、と車の上から掲げる人。

そこから見下ろすと、集まった人々が小さく見えることだろう。

あーそういうことか、と私は気づいた。

それが役割や仕事からすることであっても、

人はその立場から得られる感情を味わおうとする。

与えたり、与えられたりしながら生きてきた中で

私はどちらの側を主に感じてきたのだろうか?

誰もが自分に問いかければ、すぐに答えが出そうだ。

生まれた時からずっと

シチュエーションによってどちらかになってきた・・

そしてこんな災難時にも、自分の中の真実という

ど真ん中に立てない私であるなら、

その場(人生)に長くゐるに堪へない。

こんなムヅカシイ場面を説明する夢二は

本当に天才です。

     ー キョウコ

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