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【城を擬人化してみた】多賀城さん : 頑固でミステリアスゆえに誤解されやすいが、大きな器でどんと構えているイケオジ

「城が好きなら、擬人化すればいいじゃない!」

という天啓オタクの戯れにより、気まぐれに書いているこのコーナー。


今回は、城の中でも古い部類に入る、奈良時代に朝廷の対蝦夷えみし最前線基地だった宮城県の「多賀城」です。

(※写真は多賀城市観光協会より)

俳人としてはもちろん、城好きとしても、あそこに立った感動が忘れられぬぅ。



こんな古いおれに興味を持つか? 変わったやつよのお。


おれが活躍していたのは、1300年前から1000年ほども前のことだ。

とはいえ、ぬしらが想像する城とは、いささか趣が異なる。

都、といった方が差し支えないかもしれん。西の太宰府に似ている、と言えばわかりやすいか?

国府こくふ鎮守府ちんじゅふ・・・つまり、政治や軍事を司る行政機関であった。広大な土地の中には道が走り、政庁の建物はもちろん、兵士の住居まであつらえていたぞ。

今は建物跡しか残っておらぬが、若い時分はいかに立派であったか、容易に想像つくであろう?


いくら歳をくったとは言え、雄大さや豪壮さで、おれがそこらの若いもんに負けるわけなかろう。



まあ、そもそもおれの全容を見抜けるかは・・・ぬしら次第だな。


おおよそは発掘調査とやらで把握しているようだが、ぬしらが知っているおれの姿は、ほんの一部ぞ?

政庁、つまり役所があった中心部の変遷はよく調べあげているが、それ以外はほぼ手付かずのようだなぁ?

無理もない。特別史跡としての指定範囲は約107万㎡、東京どーむという建物が23個ほど入る広さだ。


はっはっは、ようやくおれの器の大きさがわかったか?



まつりごとも得意だが、やはり戦いとなるとたぎるな。

当時の朝廷にとって、東(北)の地は未知の領域であり、「蝦夷えみし」と呼称される、朝廷に歯向かう輩の巣窟であった。

おれは、この蝦夷を制圧するための、最前線基地だったのだよ。朝廷からも征夷せいい大使など猛者が送り込まれた。

征夷とは、蝦夷を征討せいとうするという意味だ。後の世では、征夷大将軍と呼ばれ、これに任ぜられた者は幕府なるものを開いたそうだな。

ん? 元から住んでいた蝦夷が歯向かうのは当然だ、朝廷に従わないからって一方的に攻めるのはおかしい、と?

うーむ、別に粛清ばかりしていたわけではないのだが・・・。なんであれ、朝廷のおっしゃることは絶対よ。

融通が効かない? ふっ、おれが相手で、命拾いしたな?



そういえば、和歌は嗜んでいるか? 少し付き合ってくれ。

おれのいた場所は、和歌の題材としてよく詠み込まれた名所「歌枕うたまくら」が多くてな。

だから和歌はよく詠む。なんていったって、おれの創建や修造について記している石碑「壺碑つぼのいしぶみ」も歌枕だからな。

たしか松尾芭蕉とかいう俳人が、『おくのほそ道』の中で「旅の疲れも忘れて、涙も落ちるばかりであった」と記していたな。まあ至極当然のことだが。

それなのに、つい50年ほど前まで "壺碑は偽物だ” などとぬかす輩がいてな。なぜ誤解が生まれたのかわからぬが・・・


ぬしのように疑うことを知らぬ目は、好ましいな。

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