デザイナー10年目を振り返って考える、デザインの役割
気付けばデザイナーになって10年目に突入していた。
最近アメリカで就職活動をしていて、改めて自己分析だったり、自分は何をやりたいのか、と学生の時のようなことを考えている。10年前の自分はどんなことを考えていたのだろうか、そしてこの10年間をどのように過ごしてきたんだっけ、と振り返ってみたいと思う。
デザインの役割に気付いた時
最初にデザイナーになりたいと思ったのは、さらに遡って18年も前になる。(す、すごい遠いところまで来てしまった)
当時、中学生だった私は不登校だったので学校に行かず、パソコンでずっと絵を描いていた。その描いた絵を当時知ったインターネットという場所に公開するためにウェブページ(ホームページと呼ぶ方が当時の気持ちを思い出すには相応しい響きだ)を作ったのが、デザインという単語を知るきっかけだった。
そのうちにイラストを描くことよりも、「この絵をどうやったらもっと良く見せられるんだろう?」「どんな雰囲気が合うだろう?」とウェブの方に興味が移った。デザインの役割、というものに気付いた瞬間だったのかもしれない。
象徴的な存在
Retired Weapons / 徳田祐司
高校生の時に影響を受けたものに、徳田祐司さんがアートディレクションを務めた「Retired Weapons」というアートプロジェクトがあった。当時、受験生だった時に、雑誌Penの表紙になっていたのを手にとった記憶が残っている。
デザインというものが伝える手段であると同時に、「人の心に記憶を刻む存在である」ということに思い至った。
広告代理店グループの制作会社時代
大学卒業後に就職先に選んだのは大手広告代理店、博報堂のグループ会社でウェブの制作に特化している博報堂アイ・スタジオだった。京都造形芸術大学で広告を学んでいたけれど、その前から自主的に制作していたウェブの知識も生かせるところが良いと思ってのことだった。
日本のいろんな会社やブランドのウェブ制作を通して、デザインの基礎と、すでにあるモノやコトをどのように届けるのか?ということを学んだ。
ラベルの気持ち悪さ
その当時の制作プロセスはというと、本社の博報堂の人が書いたワイヤーフレーム(と呼べるかも怪しい)がパワポで送られてきて、それをウェブデザインにしていた。そのウェブに置くべき情報と、ナビゲーションのラベルが的確でなかったので、「変更した方が良いと思います」ということを先輩に伝えたのだけれど、本社の人がクライアントに確認をとった後だったため、そのおかしなラベルは覆ることがなかった。
今、言語化してみると、私のデザインにおけるモットーとは、パズルのようなもので、情報やブランドの伝えるべきメッセージを、あるべき姿にしてきちんと整えることだった。
だから、そのラベルのまま世の中に出てしまったことに悲しみや憤りを感じた。どうしたら良いのか、と考えたときに、私はそのワイヤーフレームの構成を考えるところから関わりたいと思い始めていた。
だから、プランナーになった
3年目に会社を辞めようと思ったとき、博報堂への出向が決まった。更に、配属された先の先輩たちが新しく会社を立ち上げることになり、しばらくしてからそこに加わった。それがクリエイティブエージェンシーのSIXだった。
私の肩書がプランナーへと変わった。そこでGoogleやプレステのCMやデジタルプロモーションに関わることになる。何故プランナーになったのかと言えば、ただ視覚的にデザインするだけでなく、何をどうやって誰に伝えるのかを、手法も限定せずに考えることが出来るからだった。
それまでウェブの世界にしか生きて来なかったので、デジタル上だけでなく、駅などの公共機関や、イベントなども含めて、そのメッセージが最大限届くのであれば自由に発想して良い、というのは自分の思考を広げられる良い機会だった。
プランナー業と並行して、UIデザイナーとしてプロモーションの際のウェブや、映像内に使われるUIをデザインした。AmazarashiのMVなどにも関われたのが楽しい思い出。考えるだけでも、手を動かすだけでもなく、両方出来るのが自分にとって一番大事なことだった。
(大学の時の教授だった榎本了壱さんの会社の名前がアタマトテというのだけれど、良い言葉だなと思う)
マスから個人へ届くものを
ブランドというものを考えた時にプロモーショナルなことだけでなく、プロダクトなどユーザーが直接触れることも大きな要因だと考えた。プロモーションが外からコミュニケーションするのに対して、内側からじわじわ伝わる、そんな感じのコミュニケーション。
そこで、プロダクトを手がけるスタートアップに行くことにした。それがLiBだった。
代理店との違いで一番何が印象的かと聞かれたら、ユーザーインタビューかもしれない。代理店時代、大きなブランドを手がけていたせいか、ユーザーというのは数字で表されるデータのようなものだった。そこから個々人の人物像に思いを張り巡らせるのはなかなか難しい。
LiBは女性の転職支援を行うプロダクトで、実際にアプリを使っている人10数人に話を聞いた。その人の家の最寄りのカフェで仕事帰りに話を聞いたり、電話でインタビューをしたり。転職というのは人生で数多くあるイベントではなく、それこそ人の人生を左右してしまうかもしれない大きな出来事だ。
「ユーザー」という具体的に想像のつかない仮のペルソナじゃなくて、生身の人がいる、ということをハッキリと確認出来た瞬間だった。
自分のデザインしたものが誰かの人生に関与する
ウェブから広告、そしてデジタルプロダクト、といろんなところに仕事のフィールドを移し、さらには新しいものがどんどん世の中に生まれている中で、デザイナーとしてどう立ち振舞うか不安に思うことがない訳ではない。
でもデザインする対象が変わったとしても何をデザインするかと言えば、人の人生に寄り添って、誰かの記憶に刻まれるものだと思っている。どんなカテゴリーのモノやコトだったとしても、デザインはすべて人間とのインタラクションを作ること。
こうして振り返ってみると、いろいろ紆余曲折したけれど、自分の中ではどれも繋がっているなと思う。
そして10年目のいま、私はサンフランシスコにあるプロダクトデザイナーの養成所Tradecraftに入って、新しいことを学ぶのと同時にデザインの基礎を学び直す機会を得た。デザイナーは10年生だけど、言語は1年生。
20年目の自分はどうなっていることやら。
普段気になっているデザインネタなどはTwitterでつぶやいてます。
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