見出し画像

掌編小説|保留音

久しぶりに連休が取れたので、実家に帰ることにした。

前回、連絡をせずに帰省し、ずいぶんと母を慌てさせた。
また何か言われるのもしゃくなので、連絡しておこうと携帯電話を手に取る。時刻は午後十一時をまわったところだった。

明日にしようか迷ったが、後回しにしたら、私のほうが忘れそうでもあった。

宵っ張りの母はまだ起きているだろう、ということにして、ベッドに寝ころんだまま携帯電話をカコカコと操作する。見なれた実家の固定電話の番号が表示されたところで、迷うことなく発信ボタンを押した。

ルルルル。
コール音だけが響く。
母はなかなか出なかった。

もう寝たかと思い、終了ボタンを押そうとしたとき、電話口から「……し」と声がした。ホッとして「私」と返した。
「……はい……し」
電波の調子が悪いせいか、途切れ途切れに声がする。

「あのさ。今度の土日、休みが取れ……」
ブツン、と大きな音がした。

「あれ? もしもし?」
呼びかけても返事がない。かすかに音が聞こえた。集中する。
『ふるさと』
保留音だ。
切ればいいのに、母は保留ボタンを押したらしかった。

なんとなく向こうが保留を解除するまで、こちらも通話を切りづらい。
寝そべったまま保留が解除されるのを待った。
陰鬱な機械音に気分が暗くなる。
私は保留音の『ふるさと』が大嫌いだった。

電話機自体も古くなり、音声はますます劣化していた。
ざらついていて、少しテンポが遅い。わずかに音程もずれている。気持ちが悪い。

保留音は徐々に大きくなっていく。これ以上、もう聴いていたくない。
明日、またかけなおそう。
そう思って切ろうとしたら音が消えた。電話の向こうから、幽かに声が聞こえる。笑っているように感じた。
母なのだろうが、意味が分からない。

「今度の土日帰るね。それだけ。電話の調子悪いみたいやし、もう切るわ。おやすみ」
捲し立てると、母の返事を待たずに切った。携帯電話をベッドの脇に放り投げ、枕に顔を埋めて寝た。
調子の外れた『ふるさと』が耳の奥にこびりついている。
その夜、妙な夢を見た気がするが、目が覚めると同時に忘れてしまった。

週末、実家に帰ると母は怒っていた。
「帰る時は連絡してって言ったでしょ」
連絡した旨を伝えても、そんな電話は受けていないの一点張り。かけたことを証明するため、携帯電話を取り出して発信記録を表示する。

そこに。
発信記録は残っていなかった。
そもそも。

「固定電話は先月解約したって言ったでしょ」
母の小言を聞きながら、居間に座り込む。
電話があった場所には、キレイな紫色の花が飾ってあった。

「あんたが言ったんじゃない。『家族みんな携帯持ってるから、いらないんじゃね』って。だからお母さん、忙しいのにわざわざ解約の手続きをしに行って――」
母の言葉にあいまいに笑みを返しつつ、「ごめんごめん」と小さな声で謝った。

五年経った今でも、あの音階の狂った『ふるさと』は、耳の奥に残っている。
あの時の電話はどこに繫がっていたのだろう。
もう一度、電話をかけてみたいという気持ちと、もう二度とあの『ふるさと』を聞いてはいけないと思う気持ちが拮抗したまま、結局、今も行動には移せないでいる。

いいなと思ったら応援しよう!