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【八〇〇字物語】願いが叶う手帳

来年用の手帳を選んでいたら、どんな手帳をお探しですかと尋ねられた。
声のした方に顔を向けると、銀杏色のエプロンを身につけたマッチョメンが、すぐ隣に立っていた。物を選んでいるときに話しかけられるのはあまり好きではないのだけれど、人好きのする笑顔に、こちらもつられて笑ってしまった。
少し気恥しい気もしたけれど、彼ならばと思って、「書いたことが叶うという手帳を探しているのですが」と素直に伝えると、マッチョメンはにっこり笑って、それならこちらですねといってオリーブ色の手帳を教えてくれた。

綺麗な色だけれど、いつも無難な色しか選ばない自分にはいささかハードルが高い。しかもカバーはエナメル加工で、すぐに汚れてしまいそうでもある。

「本当に書いたことが叶うんですか?」と尋ねると、
「それが本当に叶っちゃうんですよねえ」と、マッチョメンが肩をすくめて言った。

週間部分がバーチカルでなくウィークリーなのも不満ではあったけれど、熟考の末、来年の手帳はこれにすることにした。星空色のインクで書くと願いが叶うまでの期間が少し早まるというので、それもあわせて購入する。

「叶ってほしくないことは書かないようにしてくださいね」とレジでマッチョメンに釘を刺された。
絶対に叶うと判っていても、つい愚痴や自分への不満などのネガティブなことを書いてしまう人があとを絶たないらしい。
「どれかひとつが叶ったら、ふたつ、みっつと増えながら叶っていきますからね。たくさん書いちゃったほうがお得ですよ」
すでに話半分のわたしは、ショッピングバッグに詰められる手帳をわくわくしながら眺めていた。

帰るなり着替えもせずにまっさらの手帳を取り出してみる。カバーから割りたての新竹のようなスンとした匂いがした。
最初に書くのは、もちろん猫の健康のこと。
それから次は何を書こう。
そんなことを考えながら万年筆に星空色のインクを詰めていたら、いくつか星が逃げていった。

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