と、思えるか
今日なんとなしに「夢で会えたら」という色んな歌に入っているフレーズが頭に浮かんだ。
それでその後ほぼ一日中考えてたんだけど、
例えば自分が好きな人(恋人、友達問わず)に、
実は嫌われてたないし、恨まれてたって事実を知ったとする。心当たり無しで。
その場合、大抵の人は「じゃあ俺も(私も)嫌い」となる気がするんだけど、
ちょっと俺の考え方とは異なる。
例えば仮にマジで嫌われていたとしても、自分がその人と過ごして「楽しかった」「好きだった」という事実は確実にある訳で、
そこで感情に任せてというか反射的に「嫌い」になる事によって、
過去の良い思い出や時間などを上書きする必要は無いんじゃないかと思うんだ。
相手はしたい様にすれば良いと思うよ、でも自分はって話。
でもそれが凄く難しいのも良く分かる。
だって好きな人が自分を嫌ってたなんて知ったらそれはショックだ。
だから「もういいよ、だったらこっちだって」ってなる事は否定しない。
ただ、もしそのショックを踏まえた上で自分の人生を俯瞰して見た時に、
「いや、例え相手がどうであれ俺(私)は感謝もしてるし良い時間だったよ」と言えた方が、自分にとってプラスな気がするんだよな。
これは俺が自分中心な人間だからかもしれないけれど、物事の「本当の事」ってのは自分が知ってれば充分だと思っていて、
よく分かって欲しくてか何なのか人に聞いて欲しいタイプの人もいるけど(最近話題のメディア関係の人とかもそうなのかも)、
正直あんまり意味ないと思うんですよね。
自分の意見に世間が賛同して「そうだ!アイツは悪い!」って言われて果たして何か満たされるだろうか。
「アイツが悪い」イコール「貴方は素晴らしい」では無いからね。
だからそんな自ら自分の格を落とすような事はせずに、「ああ、そうだったんだ、ごめんね。でも俺(私)は君といれて楽しかったよ」
ってスタンスでいれたら、
執着も依存もしないで生きていけるんじゃないかな。と俺は思う。
なんか去年から学生時代の友達とか地元の友達とちょくちょく会う機会が増えて、
いや、実際あんまり変わってないよ。ってのは思ったかな。
勿論良い意味でね。
特に10代とかに出会ってる友達なんかはその頃は社会的地位なんて物は誰もなかったから、
本質的にというか根っこの部分は繋がってんだよな。
自分を俯瞰して見るってのは近年常に意識はしてるけど、もうちょい広い視野で自分の人生を俯瞰して見る。ってのを練習していきたいなと思ってる。
先の見えない長い一本道に立ってる自分を、
上空から見る感じ。
その道が俺の人生。