9/1がキラキラした日になったらいいのに。
8月の終わりに突然noteデビューしました。何やらnoteには♡機能があるようで、Twitterのいいねみたいなものらしいですね。さっき確認したら30件くらい♡が届いていました。嬉しさとともに「やべっ、ちゃんと書かなきゃまずいかな」なんて思いが一瞬脳をかすめましたが、掴むことはできなかったので、このまま駄文で進みます。
おそらくこうやって物を書くというのはアメブロ以来で、8年振りくらいですかね。不思議なことに何も懐かしさを感じずにいます。ちなみに、アメブロの前は大学時代のmixiです。今の学生の子はmixiって伝わるのかな?
実はこのmixiに私は苦い思い出があります。
大学のクラスメイトにめちゃくちゃ味のある文章を書く子がいましてね、私はその子の文章が大好きだったのです。たった数行の日記(mixiには日記機能があったのです)なのに、読んでいて心地が良い。
「いいな〜こんな文字が書けたらな〜」
その願いが叶わなかったことはこのnoteを読んでくだされば薄々感じてもらえるかと思いますが、結果的に叶わなかったわけです。
その子の文章はその子が書くから輝く。
そんな当たり前すぎることにも気づけないくらいに視野が狭くなっていて、ああだこうだと策を練っても全て空ぶる始末。結果として残ったのは「私は文を書くのが下手で、他人の心を動かす文は書けない」という思い込みでした。
あれ?おかしいな、前置きで600字くらい書いてしまった。そろそろ皆さんもお疲れになる頃でしょうか。すいません、ここからが本題です。
9/1は、学生の自殺者がもっとも多い日と言われる日です。
理由は様々でしょうが、経験則から言うと「夏休みという長い期間が経ったので学校での自分の位置も少し改善しているのじゃないか」という期待を全面崩壊させられるからだと思っています。
「何も変わっていない」という焦燥感とこの日々がまた続いていくのかという絶望感を叩き込まれて耐えられなくなってしまうのです。私の中学校時代なんてもう20年近く前。数日前の夕食さえ記憶から怪しくなってきた私にとって20年前のことなど記憶の彼方にあるものがほとんどな訳です。
実際、あの頃の記憶はかなり霞んできたように思います。ただ、感覚というのは変にこべりついていて、焦燥感や絶望感というのは記憶よりも色濃く残っています。
「死にたい」と毎日思っていて、前髪を抜く癖が止まらなくて、自分の顔を殴って、自分の生きる意味を探す日々。
と、そろそろ私の電池が切れそうです。というか、結局伝えたいのは「生きていてください。死なないでください。」という想いで、それをより伝えるために文章を考えていたら、「もう、ごちゃごちゃ書かないで、その想いだけ書きたいわ!!」って思ってしまいました。
突然急展開で終わる漫画の最終回みたいな切り替えになってしまいましたが、今回はこの辺で。
ちなみに、明日のだらだラジオ(私のYouTubeでの動画の一つ)のテーマは「生きる意味なんてどこにも落ちてなかった」です。
今回の記事のような話をしておりますので、お時間あれば。
それでは寝ます。6時起きファイト。
haichi