人殺しの話
姉の話はいつも話半分に聞き流すのですが、記憶にこびりついた言葉が幾つかあって、その内のひとつが、
「二十歳を過ぎたら、親のせいじゃなく自分の責任」
どんなに納得できなくてもそうなんだ、と言われて、そりゃあそうだろうなあ、という気持ちと、この世は不平等だな、という気持ちがありました。
この「親」という単語は、自分に痛烈に響く言葉に置き換えるべきなのでしょう。
いじめられっ子だった私なら、いじめ、友人に裏切られたなら友人、恋人とか社会とか、表沙汰にならなかった暴力でもいいかもしれない。
小学生の時、Sくんというクラスメイトがいました。
なにが発端で始まったのかは知らないのですが、馬鹿にすることも、その子を気持ち悪がることも、学年全体が許容している子でした。
一緒に遊ぶことはなかったけれど、私はSくんに対して悪いイメージはありません。
意地悪なところがなかったし、一緒にいると周りにからかわれるのには困ったけれど、そのことを申し訳なさそうにしている。
中学に上がり私がいじめのターゲットになっても、Sくんがいじめ側に回ることはなく、もちろん助けてくれるわけでもないけれど、私はそれを当然だと思いました。
いじめられる側の生きづらさを誰よりもよく知っているだろうし、私をかばえば私とともにからかわれるだけだと承知していたのではないでしょうか。
都会と田舎のいじめに違いがあるかは分かりませんが、田舎は人が少ない分、環境が変えづらい印象があります。
高校に上がっても、たとえ県外に出ていったって、ふるさとに戻れば「いじっていい人」という意識が同級生の間には残っている。大人になってもそのカーストが残る、という人もいます。
いじめ側を問題視しない日本独特の風習といえるかもしれませんし、人を蔑むということを問題視しない、その土地に根付いた人間の問題でもあるかもしれません。
いじめの当事者であった時、周りの目を変えられた人は幸運で、そういう意味では私もSくんも落ちこぼれ組だったわけです。
卒業してからも、様々な形でいじめはその人を苛み続けることは、体感として知りました。
突然記憶がフラッシュバックする、普通に対応するけど同級生と話すと動悸がする、知らない場所でいまだに蔑まれていることを知り傷つく。
形は違えど、似たような体験をした人は、たくさんいるんじゃないでしょうか。
Sくんもそうだったのかもしれないな、と想像することがあります。
高校を卒業して数年後、知り合いの同級生が「S、結婚したんだって」と、意外さを共有して欲しいかのように教えてくれました。
同級生の間では早い結婚だった覚えがあります。
私は、よかったな、と思いました。
たぶん相手の女性は、いじめの囲いの外からSくんを見て、Sくんの優しいところを分かってくれたんだろうなって。
それから子供がひとり育ち上がるくらいの時間が経って、地元で放火事件が起きました。
小さな子どもと、そのお母さんと、お腹の子どもが亡くなる大変な火事で、犯人は子どもの親であり、女性の夫でもあるSくんでした。
テレビ局というのはすごいもので、明け方に起きた事件の概要、家族関係、私が知らなかったSくんの経歴まで、たちまち調べ上げて夕方のニュースで流している。
私はそこで、Sくんが再婚だったこと、家庭内暴力があったこと、動機は今だによく分からないことを知りました。
Sくんとは小学生の時に話したきりだし、いまはどんな性格をしていて、どんなことで苦しんでいたのかは知りません。
苦しんでいたからって暴力を振るっていいはずはないし、人殺しは許されない。それは、相手にどんな理由があろうといじめをしていい理由にはならないのと同じ、人として絶対の理屈です。
ただ、どうしても考えてしまうのは、あの時、あの学年で、Sくんを蔑むことが許容されていなかったら、私と同じおちこぼれ組でなかったら、いじめによってすり減ることもなかった自信と、苦痛のない同級生との付き合いがあっても、Sくんは同じことをしたのかな、ということです。
いじめられていなくとも人を殺す人はいる。
いじめられても絶対に人を傷つけない人もいる。
結局は自分の選択の末のことで、どんな理由も言い訳にはなりませんが、疎外され当然のように痛めつけられた時代が心身に作用しないはずはなく、そしてもし今回の事件の遠因にそれがあるのだとしたら、動機の発端はSくんの弱さや我が儘なのだとしても、あの時代、蔑むことを許容した私を含めた同級生、見て見ぬふりの先生、環境を形作った様々な人たちは、Sくんだけを人殺しと呼べるのか。
もし神様がいて、今回の事件を見たら、どんなジャッジを下すのか。
凡人である私には想像もつきませんが、それでも、人である姉の言葉を借りるなら、「二十歳を過ぎたら自分の責任」なわけです。
あらかじめ言いたいのは、私は未成年でも、絶対に許してはならない罪はあると思っているし、加害者を守る前に被害者を守ってみせろと憤りを感じてもいます。
子どもにも奥さんにも、生まれてくる前の子どもにはなおさら、Sくんの過去は関係ない。
夫婦だろうと親子だろうと、友人だろうと同僚だろうと、自分の問題は自分で引き受けなきゃならない以上、その人からとばっちりを受けなきゃならない理由はない。相手が成人ならなおさらでしょう。
どんなに不平等だろうと、Sくんはしてはいけないことをした。
ただ、それを踏まえた上で、望まない荷物を持たされた人間も、きれいに積まれた荷物を持つ人とともに、前の見えない道を走っていかなきゃいけないんだな、と思ったのです。
周りの人の荷物と比べて、こんな荷物をどうして自分が持たなきゃならないのかと、釈然としないまま。
どんな人にも荷物はあって、小さく見えても実はものすごく重い荷物かもしれないし、軽くてもものすごく持ちづらい形の荷物かもしれない。荷物を肩代わりするわけでもない外野から、自分が持っている荷物や、走り方や、走り方の不格好さをヤジられることもある。
それでも成人というピストルを鳴らされたら、誰に荷物を任せることもなく走らなきゃいけない。転倒しても荷物を落としても自分の責任で、どこかで荷物を放り出しても、どこかで荷物を開けて箱を小さくしても、それは自分次第。
いじめの渦中、あたりの目に憚ることなく親切にしてくれた同級生のMちゃんは、自分の子どもを殺して捕まった。
いつも人の動向を窺っていた髪のきれいなTさんは、公園で練炭自殺をして亡くなった。
Sくんはおそらく20年近く刑務所の中で暮らす。
私は自分の荷物を持って走りながら、それでもやっぱりMちゃんのあの時を尊敬しているし、話したこともないTさんのことは「ふうん」と思うし、Sくんについてはいろいろと思うところがある。
悪く捉えられないのは自分にも荷物があるからで、そう捉えることがいいことなのか悪いことなのかも分からない。
それでも考えながら、えっちらおっちら、今日も皆さんと一緒に走っています。
たぶん、SくんとMちゃんも、私の知らない荷物を抱えて、走っているんだろうなあ。
*
もしかしてもしかすると、今いじめの渦中にある人が、この記事を読むこともあるんでしょうか。
なんの救いにもならない記事でごめんなさい。
私はいま、いじめられていたことをほとんど思い出さずに暮らせています。
どうやってそうなれたのか、過去の自分に教えてあげたいくらいなのですが、自分でもよく分かりません。
ただ、めちゃんこ時間はかかりました。(めちゃんこは死語では、なんてツッコミはいりませんぞ)
何度も自殺を考えたし、高い場所に立ったこともあります。それでも死ななかったのは、ここで私が死んでも、ここまで私を追い詰めたヤツらはいつか必ず笑うんだと思ったから。あと、ここで死んでもまた生まれ変わって、またあのつらい日々を始めからやり直さなきゃいけないんだという考えを信じていたからです。
私はあなたになにもしてあげられません。
今でも、あの時の自分になにをしてあげればいいのか、見当もつかないから。
体の内側から、真っ黒い煙のように吹き上がってくる「死にたい死にたい」という気持ちから逃げ切れたのは奇跡で、思い返してもあれはひどい鬼ごっこだった。
ただ、あの時の自分は、同じ立場の人が欲しかった。
恥ずかしくて、自信がなくて、頭も体もいっぱいいっぱいで失敗ばかりしてた。嫌なことばっかり思い出して毎日毎秒苦しんでた。そのことを「私もだよ」と言ってくれる人を、人の中にも本の中にも求めていた気がします。
なんの役にも立てないかもしれませんが、「私もです」。
なにをどうすれば正解かは分かりません。
ですが、いじめといういらない荷物を背負わされて、それなのにその荷物を投げ出さず人生をトコトコ走り、思慮深くなった人が私は好きだし、あの真っ黒い「死にたい」という化け物から逃げ切った人とは、肩を組んで喜び合いたい。
未来は分かりません。
生きているとは変化することで、もしかしたら私はまた命がけの鬼ごっこをする羽目になるかもしれないし、宝くじが当たって頭のてっぺんから足の先までキンキラキンになって生きているかもしれない。
とりあえず今は、昔遊んだゲームがリメイクされることを知り、ウッキウキです。2020年楽しみ!
どうかあなたが、自分の好きだと思うものを守り切り、自分を見下す人からは距離をとり、健康で生きていけますように。
会うこともないでしょうが、似たような荷物を持ってトコトコ走るあなたのことを、私は好ましく思っています。
またnoteという場所で、すれ違えることを祈って。