見出し画像

家が傾いたのでコーヒーカップを買った。

1

ここ数ヶ月、自宅で入れるコーヒーにハマっている。
豆を買い家のミルで挽いて、泡が立つのを見ながらコーヒーが落ちていく音を聞くのは今時の言葉で言う「チル」だ。
濃さを自分で加減出来るのもいいし、追求し出すと切りがないのもいい。同じ名前のコーヒー豆を買っても、買うお店によってまるで味が違うことを発見したのも面白かった。
コーヒーを飲む時はいつもガラス製の大きなカップを使った。
とにかく量が入るし、冷えてもレンジが使える。百均の皿をぶつけて割った時はショックで、同じお店で同じ物を再び購入して使い続けた。私にはこれだと決めていた。
それが、3月16日に再び割れた。

2

確か中学の数学の先生だったと思うのだが、授業中、1978年の宮城県沖地震のことを話されたことがある。
川べりを歩いていたら揺れが来て、立っていられず地面に座り込んだのだそうだ。
たったそれだけの話が妙に頭にこびりついて、先生の名前も授業内容も思い出せないのに、宮城県沖地震と聞くたびにその話を思い出す。
東日本大震災の時は、とにかく揺れがひどくて長かった。「まだ揺れるの?!」と揺れながら地球にツッコミを入れた覚えがある。その時私は立っていた。横にあった壁に横に亀裂が走った。棚という棚が崩れ、天井から水が落ちてきた。それでもなぜだか立っていた。せめて下に隠れろよと過去の私に言いたいけれど、地震の最中の人間はなにをしでかすか分からないのものなのだ。
2022年3月16日に起こった地震は福島県沖が震源地だったけれど、数学(仮)の先生の話は本当だった。
立っていられない。
一度目の地震の後、靴下を履こうと部屋に戻り再び地震が来た。裸足のまま駐車場に飛び出して、振り落とされるような揺れに耐えきれず四つん這いになりそのまま激しく揺さぶられ続けた。
裸足の足は無事だったけれど、膝と手のひらに擦過傷が出来ていた。

3

躾というものには意味がある。
玄関の靴はドアにつま先を向けて並べて置きなさい。
小学生の頃は守っていたけれど、家族全員それをしない家で私は堕落した。堕落したままあの日になり、つま先がこちらに向いた靴を履く余裕がなく裸足で逃げた。
危ないでしょ! せめて靴を履いて逃げなさい! と後で姉に叱られたが、その姉は「落ち着いて靴を履いて!」と家族に促しながら自分は夫の靴を履いて逃げ、「俺の靴ゥッ!!」と夫に叫ばれたのだそうだ。
本当に、地震の最中はなにをしでかすか分からない。

4

家の中は竜巻が通り過ぎた後のようだった。
こう言ってはなんだが、大地震の後はいつもこうだ。
スリッパを履かなければガラスを踏むし、軍手をつけなければ迂闊に物に触れない。
近所では止まった家もあったが我が家の電気と水は止まらず、インターネットのモデムとルーターも壁と動いた机の間で斜めになりながらかろうじて生き延びた。
百人力と言うけれどこれがまさにそうだ。よくぞ生き延びてくれたと戦場で味方の肩を抱く侍の気持ちがよく分かる。
しかしである。
傾いている。
なにがって、床が。
我が家は二階に台所があり、水道が止まるかもしれないからとりあえず水は溜めておこうと散乱する皿や割れた卵や米びつの間にヤカンを探した。その時に気がついた。
傾いている。
なんか、斜めっている。
人が感知出来るくらいだからこれは相当なのでは?
だが夜だった。もうなにも考えたくなかった。外れて斜めになった戸や、床に広がる調味料や、育てていたアボガドの種が割れていることももうなにも考えたくなかった。
とりあえずもう寝よう。
落ちてくる水の下にはバケツを置こう。
あとは明日の私たちがどうにかする。今日の私たちは寝るしかない。
そう決めておのおのの部屋に引き返した。自分の部屋に続く少し開いた引き戸を動かそうとしたが動かない。
それでもなにも考えたくない。
身体を横にして部屋の中に自分を捩じ込み、枕に落ちた壁の粉を払い落として寝た。布団の上にも落ちているのだろうが見えないからないことにした。どうせ明日になったらまた積もっているし。
三日目が来るかもしれない? 知らねえよ。もう二回来たんだよ。もう来ない。うん来ない。来ない気がするからもう来ない。おやすみ世界。
そして本当に気絶するように寝ていた。
人間は案外タフだ。

5

小さな揺れは何度もあったのだろうけれども、逃げ出さねばならないほどの三回目は来なかった。
ざまあみろだが一週間後とかひと月後とか一年後とかにはまた来るかも。
それでも部屋を片付けなくてはいけない人の世の辛さよ。しかも私の部屋はヲタクグッズで溢れているので細かいものの散乱がすごい。ねんどろいどの腕がない。
それを横目にまずしなくてはならないのは、逃げ道の整備、トイレ、台所、風呂場、仕事場の片付け。
それらを前にすると、自分の気力がスカッスカなのが分かる。人間の気力を奪うために地震は来るんじゃないかと思うくらいはスカッスカのスカだ。
頑張らなくていいと言うけれど、ある程度頑張らなければ家は片付かないし、頑張り過ぎれば後で寝込む羽目になる。ほどほどに、ほどほどにと念じながら目についた物に手を伸ばすしかない。
市は最大震度を記録したけれども、市内でも被害の大きさが違っていて、どことどことどこの町はひどかったけれども、他は割と大丈夫だったようだ、という話は見舞いに来てくれた方から聞いた。
姉がひどくない地域で、片付けに来てくれたのは有り難かった。一人で向き合うとぼーっとしてしまう。チョコレート食べようかなと思ってしまう。ちゃっちゃか動く人がそばにいると、ぼんやりながらも手を動かすし、ぼんやりでも片付けは進んでいる。
たまにTwitterも見た。
いいなー、カフェのお洒落ご飯。私も食べたい。

6

仕事場は沿岸部のお客様が多くて、震災の時は全員と連絡がとれずだいぶ気を揉んだ。
その内のひとりのお客様が、震災11年の特別番組&ウクライナ情勢のニュースにだいぶうんざりされていた。
もう見たくない!!!! 聞きたくない!!!!!
だそうである。
まあ、なんとなく分かる。
気は急くのに何も出来ないのは辛い。考え続けなければならない問題だけれど、心の安定が図れないならニュースからは距離を取るべきだろう。
それと同時に怒れるようになったんだなと思った。
震災の時は私も含め、周りの感覚がだいぶおかしくなっていて、
「遺体が見つかったのよー」
「あらよかったわねー!」
「火葬場の予約も取れたの-」
「あらすごいわねー!」
という会話を日常生活で普通に聞いた。私も笑って聞いていた。今思えば頭がおかしい。でもおかしくならなきゃやっていけなかった。出社したら会社の敷地に流れ着いた人がいてそのままになっててとか、そんな話が当たり前にあったのだ。
今想像すると胸が痛む。だけどひとつひとつに心を動かしていたら、たぶん本当におかしくなっていた。
おかしくならないためにおかしくなった。全部を淡々と聞き、いいと思ったことには笑った。そして今は怒っている。心が安定してきた証のような気がする。

7

たぶんだけど、というか私はなんだけど、地震のことも震災のことも、頭の片隅にちょこんと置いておいて欲しいだけなんだと思う。
なにかして欲しいとかつねに心配して欲しいとかそんなんじゃなく。
置いたそれを思い出した時、それをどう扱うかは人それぞれで、そこにいい悪いはなくて、それでも自分が信じる良識と合わない人がいれば距離をとるしかない。
それはもう自分に対する義務だ。
逆に鮮やかな心遣いをしてくださる方もいる。感謝をしながら、自分がいざ第三者となった時、こういう振る舞いが出来るだろうかと思う。
大変な時されたことは、よかったことも悪かったことも忘れない。
妊娠中や育児の時にされたことは忘れないと言うけれど、それと同じかもしれない。
そういえば昔の漫画で、学生時代の恨みを社会人になってから果たした事件に対し主人公が「〇年前の話だろ?!」と驚くシーンがあった。漫画とはいえもちろん許し難い事件で、理由をつけてもしてはいけないことではあるが、私はその主人公に驚いた。
抉られた記憶が年をとるものか。

8

大きな災害の後、当事者がすることは片付けと、そして金勘定かもしれない。
地震保険を使ったことがない人が想像する地震保険の支払い額と、当事者が受け取る地震保険の支払い額はおそらくだけどだいぶ差がある。
そう、思うほど出ない。
震災の時も国から金が貰えて羨ましいと感じている人が結構いて驚いた。
もちろんある程度の立ち回りは見た。それはずるくない? と感じることもあったけれど、安心して欲しい。現状復帰出来ればいいほう。それに届くか届かないか。まあだいたいは届かない。それをなあなあで平にしていくだけだ。
生活費がかつかつで地震保険に入れていなかった方なんて本当に悲惨だった。なんで入ってなかったのなんて地元の経済を知っているから口が裂けても言えなかった。東北の経済は本当に寒い。羨ましく感じるなら立場を代わってくれ。何事もないのがもっともお金がかからない。
今でも忘れられないのは、都心でバリバリやっておられるのだろうソーシャルプランナーの女性が「今なら利子をつけずにお金を借りられるんですよ? チャンスです!」と言っていたことで、そりゃね、当時は利子がかからず大きな額が借りられました。でも借金は借金で、若くてこれからの人ならいいけれど、そうでない人間はどうすりゃいいのって話だった。現場を分かっていなさ過ぎる。ちょっとこっちで三年くらい暮らしてみろアホ。田舎の高齢化を舐めるな。
うちはたまたま働く人がいて、保険も入れていたからいい方だったのだろう。当時はお金を任されていなかったからまだよく分かっていなかったけれど、今回は自分が対応することになる。雨漏りの修繕に来てくれていた業者さんに現状を見ていただいたら、普段ぼんやりしている人なのに突然ゴルゴ13みたいな顔をした。色々察したけれど、果たして保険は幾ら落ちるんやら。とりあえず二階の傾きはどうにかしたい。

9

最近ぬい撮りにハマっていて、WEBアルバムを作るためにフォトショップによく触っていた。
こうしてヲタクは職種とはまるで関係のないスキルを上げていくんだなと我ながら感心していたが、まさか罹災証明書を出すのにこのスキルが活きるとは思わなかった。
iPhoneで撮った写真をパソコンでA4サイズに配置し印刷しただけなのだが、そのスマートな作業に全自分が惚れた。なんならひび割れに添って花を咲かすことも出来る。ぬい撮り職人の爪を証明写真程度で確かめられると思わないでいただきたい。(誰も思ってないだろうけど。)
花は流石に許されないが、人間どこでどんな知識が役に立つか分からないものだ。
しかし私のカメラロール、本当にぬいか地震関連しかないな。

10

震災前、浜のお客様が当たり前のように、
「弟の死体の身元確認してきてさ」
と言った。
あんまり仲が良くなかったのかしら、と穿った見方をしてしまいそうになるほどあっさりした口ぶりだった。
漁師で、船が事故にあったらしい。
漁師という職業が珍しい土地柄ではない。当たり前の職業だから、当たり前のように安全だと思っていた。でもそうじゃなかった。海の上は生死の境で、海のそばにも山のそばにも人は住めるけれど、本当の意味でその中で生きることは出来ないのだ。

11

浜のお客様は口が悪い人が多い。
言い返さなきゃ死ぬのかとたまに呆れるが、色々と想念は抱えていても腹に含みがないのは分かる。変なことには変と言うし、遠回しな嫌味もない。うるせえええええ! と叫びたくなる時もあるけれど私は付き合いやすい。
波返しの声という言葉があるそうだ。
波に負けない声で話さなければ相手に届かないから声が大きくなる。その声を波返しの声と言うのだとか。
昔来ていた浜のおばあちゃんに、戦場から骨壺になって息子が戻ってきて、カラカラ音がするから開けてみたら石が入っていたという話をされたことがある。
泣く場所がなく海に入って波音に紛れて泣き叫んだそうだ。
負けないくらい、紛れられるくらい、すぐそばに波があるのだろう。
口が悪い浜のお客様は普段、人の手を借りようとしないし、特に手助けをするということもない。
でも本当にまずそうな時は黙って力になるし、そのことに対し恩を求めない。相手に痛みがあったことを風化させず、近寄るでも遠ざかるでもなく変わらない場所から見つめ続けている気がする。
人の質感とでも表現すればいいのか、時とともに他人の痛みに冷えていく平地に住む私とは心の手触りが違う気がする。
それは境に住む人独特のもののような気がする。
こういう人たちは自分の心に対しても、他人に対すると同じ距離感を保とうとするのだろうか。

12

床は4.5センチ傾いていた。
4.5センチって坂じゃん。
外壁も相当ヤバいらしく、「次に同じ揺れが来たらたぶん倒れる」レベルらしい。
業者さんも大工さんもお見舞いに来てくれたその道の方も口を揃えて似たようなことを言ったから、正しい見立てなのだろう。知らぬは住人ばかり也。
早めに直しましょうと言われて「はい」と答えたが、なにせ広範囲の地震だ。市からも保険会社からもウンともスンとも返事がない。工事を始めていいか保険の代理店に電話をしなくては。
そんな諸々の手続きに追われている間も、頭の片隅でずっと「ああ、美味しいコーヒーが飲みたいなあ」と思っていた。
お気に入りのカップはもちろん、コーヒーミルもドリッパーも壊れたのが痛い。洗濯機が壊れたのが一番痛かったが、その次くらいに痛い。コーヒー豆はあるのにコーヒーが飲めない辛さよ。もしもこれが恋愛なら大した駆け引き上手だよ。
いつものコーヒーカップはいつものお店になかった。
たぶんだけど、うちと同じように落ちて割れたのだろう。使い勝手はいいがとにかく華奢なカップなのだ。
ネットで探せば見つかるのかもしれないが、次は陶器がいい気がした。それも大量生産のじゃなく一つ一つ作ってるようなの。
派手な柄なのもツヤッとした磁器もいいけれど、いかにもこう、土!! みたいな。炎に焼かれてきました!! みたいな。そんなやつ。
正直、焼き物の良し悪しは分からない。愛知の博物館で織部の端と端を真ん中に寄せたような茶碗が国宝なのを見た時は、これでどうやって茶を立て飲むのだろうとしか思えなかった。庶民の哀しい感覚である。
旅先でもよく焼き物は見るが、欲しいと思うものは少ない。良し悪しの分からない人間だから、これはもう純粋に好みの問題だ。ぼこぼこしているのは洗いづらそうと思うし、歪んでいると飲みづらそうと思う。織部に対しても前述の通りだから焼き物の味が理解出来ない人種なのかもしれない。
人も陶器も出会いだ。自分がいいと感じる出会いを待つしかないと思いつつ、地元の焼き物を扱っているお店に行った。
相変わらずざらざらぼこぼこの作品が多い。そして歪んでいる。この歪みが愛せるようになれたら世界が広がりそうだなと目を落とした先に「お」と感じる子がいた。安定していて、厚みがあって、水色っぽい釉薬が塗られている。
いいじゃん、と値段を見たら安い。嘘でしょ? ソーサー付きでざらぼこやじろべえカップの半分くらいじゃん。
作者さん、これで元が取れているのだろうか。あなたいい仕事してますよ?
即決でこれにした。驚きのスピード婚である。しかもこの作者さんの他の作品ありますかとレジのお姉さんに聞きそうになったくらいの愛しよう。作者さんには末永くお元気で作品を生み出し続けていただきたい。なんかすごくヲタクらしい感想だが、本当にそう思う。
届いた新しいミルと買ったばかりのドリッパーでコーヒーを入れた時は感動した。
私が詩人なら歌っていた。でも詩人じゃないから文章を打っている。
新しいカップで飲んだコーヒーは文句なしに美味しく、初めてほっと息が漏れた。
台所は傾いたままだが、このチルがある。
このカップの作者さんも、見通しはあると教えてくれた業者さんたちも、気にかけてくれた人たちも物流に携わる人たちも全員、自分たちがどれほど私を支えてくれているか分かっていないだろうけど、この感謝が私の知らないところで芽吹いてくれたらいいなと思う。
恩を求めない場所で、自分とは関係ない話として、いつかそれを耳に出来たら素敵だと思う。

いいなと思ったら応援しよう!