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墓参りと高橋龍太郎コレクション

墓場でイトコと待ち合わせをして、うちの家族と四人で、東京は深川にある両親の墓参りをした。
業突張りの二代目住職が、お墓の手入れを恩着せがましく言っていた割には、各墓の花々が茶色く枯れている。坊主らが逃げ出したのだろうか。
イトコは、ビールか三ツ矢サイダーにしようかとも思ったんだけどと断って、お茶のペットボトルの蓋を開けると、墓石に供えた。
私たちは、叔父が祖父に供えた仏花のセンスの悪さに母が長々陰口を叩いていた思い出をしみじみ語り合った。

四人で車に乗り込み、いざ発進しようというところで夫がバックミラーをちらちらと確認している。なんか、ん、見え方が、ちがう…?などと言うので、やめてよだれか乗せちゃってるんじゃないの!とぎゃあぎゃあいいながら、一路、東京都現代美術館へ、高橋龍太郎のコレクション展である「日本現代美術私観」を鑑賞するために。

戦後の日本の現代アートのメジャーどころのカタログのような展覧会だった。
以前は見ると具合が悪くなった作品も、刺激はまろやかになり、老いのような貫禄のような重みをもって私を迎えた。
高橋龍太郎の著書である「現代美術コレクター」で読んで、一度見てみたいと思っていた作品もいくつか見ることができたり、見るのが何度目かの作品もあったり、こちらとしても受け入れやすい要素はあったにせよ、彼の持つ性癖のような部分がごっそり片付けられたかのような、オープンな展覧会に感じた。子連れでも(人によっては)いけるような見やすさがあった。

中でも去年亡くなった青木美歌のガラスの粘菌の作品はほんとうに美しく、美しいことで亡くなったことが一段と悲しかった。打ち捨てられたような古い車に生えたそれは、私のiPhoneでは何度撮ってもその魅力が全く写せない。
それから、西尾康之の巨大な作品「Crash セイラ・マス」を実際に見ることが出来て感動した。腹部の下に鏡が敷いてあり、その中(内臓部)を見ることも出来て、その造りの精巧さにも嘆息した。

娘は、奈良美智と、草間彌生のかぼちゃと、会田誠の「紐育空爆之図」と、最後の道路工事っぽい作品群が好きと言っていた。
「あと、地獄みたいな部屋」
それはどこだ。いってしまえば全部、そんな部屋だ。

都美術館の中のレストランはとてもおいしいので、15組ぐらい待っていたが、待つことにした。人数を私が自然に「5」、と入れて、みんなに「4、4!!」「え、だれかやっぱり連れてきてる?」と怖がられた。
帰宅時に、家まで連れてきちゃったかなあと思っていたが、イトコによると、私たちと別れた後に行った場所で、彼女にだけ取り皿が二枚出されたというから、どうやらイトコについて行ったみたいだ。

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