地元を飛び出る
正式に海上自衛官となった私はこれから
自衛隊内でどんな仕事をするのか、またどこで
勤務したいか希望を出すことになりました。
元々、陸自希望で採用試験を受け海自に回された私には、なるべく船に乗らない職種で希望を出すようにしました。
海上自衛隊内では様々な職種があります。
攻撃専門の「射撃」「射撃管制」「魚雷」
船の運用に関わる「運用」「機関科」
隊員の怪我や病気の手当てをする「衛生」
他にも調理専門の職種や経理もあります。
私が希望を出したのは航空機の整備で子供の頃から飛行機のプラモデルを作ったりして飛行機が好きでした。
また自分で車をイジったりすることも好きだったので船にも乗らなくてもいいし工具も
使い慣れてるからこれはいいと思いました。
ちなみに飛行機の整備でもヘリに回されると
海上自衛隊の護衛艦にはヘリを搭載しているため乗ることになります。
そして職種発表会があり同期全員が大会議室のような場所でプロジェクターを使い発表されました。
職種は希望通りに通ることは稀でその中でも
航空機の整備は全体の数%しか選ばれません。
私の感覚で8〜9割は船勤務になります。
「どおせ、船勤務だろ」
と諦めながら私の発表が来ました。
分隊長と呼ばれる偉い人が
「貧すれば鈍するマン、航空機体整備!」
と発表され私はまさかの展開に思わず奇声を上げて両手を握りしめ天まで突き上げました。
速攻、分隊長に「うるせー!興奮するな!」
と言われ我に返りました。
まさか希望通りに行くとは思っていなかったので嬉しい誤算でした。
しかしこの時には勤務地は決定していませんでした。
その後、後期教育と呼ばれる期間になり専門の教育を受けることになります。
そしていよいよ勤務地を発表する日が来ました。
1人1人呼び出され勤務地を伝えられます。
私は神奈川生まれ神奈川育ちで勤務地も関東を希望しました。
今の奥様も地元の人間で結婚しても地元で暮らしたいと言っていました。
しかし勤務地は希望通りには行かず関東から
かけ離れた基地に赴任することになりました。
今の奥様に伝えると「地元が良かったんだけどー」と納得いかない様子でした。
赴任費用は個人負担の為、新幹線代も用意しなければならず借金を返してカツカツになりました。
お金は無いし地元では働けない。
奥様にはこれから結婚も考えてと詰められ
これから先どうしようと考えながら教育生活も終わりを迎えようとしていました。
最後まで貴重な時間を使い読んで頂き誠にありがとうございます。