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「死ね」と言わない人たち


 私は、この記事を書くと決めた時に、ひとつだけタブーを外しました。

 それは、「死ね」という言葉を使わない、ということでした。

 「死ね」という言葉は、私にとって人生で、絶対に使わないと決めている単語です。

 日常的に言われた経験を持つ私にとって、この言葉を発する人間は、同じ人間であることすら受け入れがたい、おぞましいものだったからです。

 娘が使ったら、全力で叩いた後に泣こうが喚こうが怒鳴りつけて怒ると決めている単語です。
 そうなる前に、絶対に使っちゃダメよ、と教えることはしますが、これだけは、強制的に、選択肢を与えることなく禁止する予定の単語です。

 が、さすがに、この単語を使わなければ記事が書けないでしょう。
 ですから、私が誰かに言うためでなく、私がいわれた言葉として、使用するのはいいことにしよう。この記事の上でだけは、と決めたのです。

 さて、前置きはここまでにして。

 あなたは「死ね」と言われたことはありますか?
 反対に、言ったことはありますか?

 私は、一度も言ったことはありません。
 けれども、毎日言われていました。

 特に言われたのは中学校の三年間です。
 通りすがりに、「死ね」。
 前の席の人に、振り返りざま「死ね」。

 たった二文字、口にするだけです。
 とんでもなく簡単で、誰にも咎められないそれは彼らにとって単なる遊びの延長でした。

 いくら私が「今、私に死ねっていったでしょ!」と騒ごうが、「言ってない、空耳だ」と言い張られたらなす術がありません。

 多くの本には、「いじめられている生徒は、恥ずかしいと考えていじめられていることを言わない」と書かれてありますが、私は正々堂々と「こいつが私をいじめた!」と言える子どもでした。

 世間一般から離れた常識を持ついじめられっ子に、先生方も苦労したことでしょう。

 その実、小さなころから親にちくちくと傷付けられていたから、傷つきなれているために声を上げることができる、だなんて、誰も考えなかったに違いありません。

 つくづく、面倒で不運な条件を併せ持つ子供だったことでしょう。

 ともあれ、私は、日常的に「死ね」と言われる子どもでした。

 言われないのは、一日中家に居る日くらいです。
 買い物に出かけた時、同級生に出会ってしまえば必ず言われましたから、そういう日は休日でも言われます。

 言われても、ボイスレコーダーを常に持ち歩いているような探偵じみた人間ではないので、証拠が掴めません。
 証拠が掴めても、学校の先生に言ったところで無駄同然。
 チクったと言って余計に悪化するのがオチでしょう。

 警察に言ったところで警察官は法を犯した人を捕まえるのが領分です。
 通りすがりに同級生に「死ね」と言ったなんて言われても、何もできることがないのです。
 良心がある人ならば、学校に電話くらいはしてくれるでしょうか。
 それとも、辛かったね、と慰めてくれるでしょうか。

 まあ、多くの警察官は、面倒なことを言いに来た未成年に、面倒な顔をするだけでしょう。
 幸いにして、名探偵コナンを愛読書にしていた私は、わざわざ交番へ出かけて行って訴えるなどということはしませんでしたので、警察官から面倒な顔をされる経験はありませんでした。

 それでも、私に「死ね」と絶対に言わない人たちがいました。
 教師と親です。

 私は、たったそれだけを根拠に、当時関係のあった大人たちを、「味方」だと信じていたのです。

 今、冷静になって、自分の過去を見つめ直して、理解しました。

 ただ「死ね」と言わないだけの人を、「味方」とは言わない、と。

 そんな低レベルなことを根拠に「味方」だと判断するような状況こそがおかしいのだ、と。

 「味方」とは、優しくしてくれる人のことです。
 私のことを気にかけてくれ、何かを頼み、何かを頼まれる人のことです。

 困ったことがあったら話を聞いて、悲しいことがあったら話を聞いて、
 茶化さず、悪口も言わず、気が軽くなるような明るい言葉をかけてくれて、
 自分が大変な時には、「ごめんだけど、余裕がない」ときちんと言ってくれて、
 私に手助けを求めてくれる人のことです。

 私のことを、自分のことのように悩んでくれる人。
 傷ついた私を、否定しない人。
 傷ついた心を癒すために、自分を甘やかすことを許してくれる人。

 友人がいます。
 大学生のときにできた友人です。
 夫がいて、娘がいます。
 

 ここに、親が挙げられないことが、私はたまらなく悔しい。

 普通に、そんな人はお母さんだね、と言えない自分が悲しい。

 普通のお母さんがほしかった。
 普通のお父さんがほしかった。
 
 経済的に厳しくて、大学に行けなくてもいいから、頑張ったねと頭を撫でてくれる母親が欲しかった。
 いじめられた私を、そんな学校行かなくてもいい、と憤ってくれる父親が欲しかった。
 おかえり、といって出迎えてくれる家族が。
 今日は疲れたでしょう、とねぎらってくれる家族が。
 
 そんな、一円もいらない行為を、当然のことだと思っている家族が、ほしかった。

 そうであれば、今の私はいないでしょう。

 けれども、その私は、今の私よりも幸せだったかもしれない。
 今の私が不幸だと言うことを、不幸だったということを、
 傷ついていたのだということを、

 こんなにもがんばって、あれこれたくさん考えて、
 泣きながら、それでも娘のためにと思いながら、
 ひとつひとつ理解していくような苦労をしなくても、

「それはおかしいよ」と言えるような、

 そんなまっすぐな私になっていたかもしれない。

 今、私が娘にあげたいのは、そんな家族です。
 暖かい家族。
 自分を否定しない家族。
 
 なんでもかんでもイヤイヤ言われている今はちょっと難しいけど、娘が小学生になって「あれがやってみたいな」と言ったら、「それはいいね!」と言ってあげられる家族。

 自分の好きなものを否定しない家族。
 
 そんな家族は、珍しいものではないのでしょう。

 でも、私はそんな家族、見たことも聞いたこともなかった。

 知らないものを、娘にあげたいなんて、とんでもなく難しいことを、私はやらなければならないんです。

 だって、娘には、私のような思いをしてほしくないから。
 娘には、私が欲しかった家族をあげたいから。

 それでも、難しい。

 難しいのが、悲しくて、悔しい。

 私も、こうやって育てられていたら……。

 そう思いながら娘を育てる自分が、ひどくみじめで、かわいそうだと思ってしまうから。

 でも、私は、自分がかわいそうだと思われることが嫌いでした。
 私はかわいそうなんかじゃない、とずっと思っていました。
 
 可哀想だからいじめられるのも、
 可哀想だからいじめをやめてあげる、と言われるのも、どちらも嫌だった。

 それでも、少しずつ、私は「かわいそうだったんだ」という事実を受け入れられるようになってきました。
 まだ、客観的な事実だけですが、それは大きな進歩です。
 そりゃあ、「死ね」なんて言われれば辛い思いをして当然だよなあ。
 そりゃあ、親に「どうでもいい」なんて言われれば、傷ついて当然だよなあ。

 そんな、客観的事実に基づく、「傷付けられたのだから、かわいそうでいいんだ」ですが、こういった認識を糺していくことこそ、心の傷を癒すことだと思います。

 私はすでに知りました。

 お母さん、お父さん、ごめんなさい。
 あなたたちは、私に「死ね」と言ったことはなかったけれど、
 私はもう、それだけではあなたたちを信用できなくなりました。

 私が幸せになるためなので、ごめんなさい。
 それでも、私は、こんな親離れを望んではいませんでした。
 それでも、私は、離れます。
 だって、今の方が幸せだから。


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