見出し画像

豚と呼ばれた子


 私が学生の頃、「ITと呼ばれた子」という衝撃的な虐待経験者のエッセイがベストセラーに選ばれました。読んでみましたが、その壮絶なこと。こんな目に遭いたくない、と素直に思える一冊でしたが、みなさまはいかがでしょうか?
 さすがの私も、「IT」などと呼ばれたことはありませんが、「豚」と呼ばれたことならあります。
 学校で、ではありません。母親にです。
 
 ええ~? ありえな~い!
 
と思われた方、あなたは正常です。
 呼ばれたことのない方、その「されていない」経験を大事にしてください。その状況を「当然」と思える感覚、一般常識、そういったものこそ、私がずっと探し求めていたものなのです。
 
 あ、わかるわかる! うちもそうだった! 
 
とか、
 
いや、私はもっと嫌なあだ名で呼ばれていたわ。
 
という方は、ぜひ認識を改めるために自己のケアをされることをおすすめします。
衝撃の事実をお伝えしますが、それはとても普通ではない環境です。
傷ついていないふりをしながら、あなたの心は実は傷ついています。普通だと思っているあなたの人生は、その事実を認めることで、ほんの少し息がしやすくなるでしょう。
 現に私がそうだったように。
 
さて、よくある宗教のような自己啓発を訴える文言を終わらせたところで、詳細をば。
 
 発端は私が小学三年生のときでした。
 そうです。一応発端はありました。うちのおかんも、ある日突然、何もないのに人を「豚」呼ばわりするほどの外道ではありません。
 個別懇談で、「あなたの娘が学年で三番目に太っている」と言われたそうです。
 大人になってから、痩せようとしたときに分かったことなのですが、私はもともと新陳代謝がかなり悪く、この状態でダイエットのための運動をする方が体を壊すほどの虚弱具合だったのです。
 結果、低体温に低血圧。(おかげで妊娠中に高血圧で注意されることはありませんでした。)
 運動が駄目なら食事で痩せようと思い、カロリー計算アプリを導入して日々の食事を測っても、「あなたの食事量では平均的なカロリーにすら到達しません。もっと食べなさい!」と怒られる始末。
 私にできることは、せめて栄養バランスが整った食事にする程度のことでした。
 なんせ、たまにマクドナルドのテリヤキバーガーセットを食べた時の方が、「適正カロリーです! この調子でがんばりましょう!」と褒められるんです。
 それでも、新陳代謝が悪すぎて、消費カロリーが、摂取カロリーに追いつきません。当然、大して食べていないのに、なぜか太っていく体のできあがりです。
 
 そういうわけで、齢十にして、ダイエットを進められる少女と相成ったのでございました。
 
 それに対して、うちのオカン。
 彼女はなんとも羨ましく、新陳代謝の良い人間です。ストレスがあれば痩せていき、食べても食べても太らない。これはこれで危険なことで、パートに出れば体重が40キロを切るような生活になります。
 
 太ったこともなく、太っているのは健康に悪いと思っているオカンが、「あなたの娘は太っている」と聞いて、一番に取り組んだのが、私の意識改革でした。
 そうです。私の呼び名を「豚」に代えることでした。
 
 嫌だと泣いてみたものの、「そうでもしないとあなたは痩せようと言う気にならないでしょ」と取り付く島もありません。
 
 かくして、数年にわたって「豚」と呼ばれる生活が始まったのでした。
 
 と、まあ、ここまでが前提です。
 
 この度、わざわざ臨床心理士にカウンセリングまで依頼して、自己ケアを行おうと思ったのは、家庭でのこういった経験だけではありません。
 これだけだったら、「うちのオカンはそういう人。デリカシーない人とはもう付き合わない」くらいでなんとかなったことでしょう。
 
 そうです。加えてわたくし、いじめられておりました。
 小学一年生の3学期に、父方の祖母の介護が必要になり、母と私と妹の三人で田舎の祖母の家に移り住んだのです。
 実子の父はどうしていたんだと申しますと、通勤するには遠方なもので、ひとり家に単身赴任をしておりました。なんと嫁と子どもだけで義理の両親の家に行ったのですね。
 これはこれでおかんも相当苦労したと思いますが、それはそれ。
 転校生、というレッテルを貼られた私は、見事いじめられました。
 タイミングも悪かったのでしょう。一年生の3学期は、うすぼんやりと「みんな冷たいなぁ・・・」くらいで済んでいたのですが、2年生に上がったときに、新たに転校生がやって来たのです。
 
 たった2クラスしかない田舎の小学校です。加えて彼女はしたたかでした。
 さらに悪いことに、登校班が同じだったのです。つまりはご近所さんでした。
 その転校生は、自分が集団に馴染むために、元から少々浮いていた私を一緒になっていじめることで、集団の中に入っていったのです。
 見事な手腕としか言いようがありません。こちらからすれば最悪の手段なのですけれどね。
 
 これが、人生で初めて私がいじめられた日々の始まりでした。
 とはいえ、小学二年生のいじめなど、たかが知れているというもの。仲間外れにされたり、徒党を組んで私が付いてこれないところへ走って行ってしまったり、そんな性根が腐っただけの他愛もないいじめでした。
 
 が、当然私は傷つきます。何かあるたびに泣いて祖母の家に帰っては「ああされた」「こうされた」と訴える私を見かねたのか、そろそろ祖母の具合も悪くはなくなってきたことだし、ということで、3年生になるタイミングで元の小学校に戻ってくることができました。
 
 さーて、めでたしめでたし、と相成ればよろしかったのでしょうが、そうは問屋が卸しません。
 
 同じ県内とはいえ、地方に一年と少し住んでいた私は、ご当地の方言が移っておりました。
 今度は、元の小学校で「言葉がおかしい」というのを発端としていじめられたのです。
 
 一年生の時に毎日遊んでいた子も、すでに新しい友達を見つけています。なんせ今度は1クラスにつき40人、それが4クラスもあるマンモス校です。私のことなど覚えてもない、という子が多いのです。
 
 かくして、いじめに耐えかねて戻ってきた私の日々は、またいじめで彩られることになったのです。
 
 そんな中の「豚」呼ばわり。
 
 それが、「ええ? ありえない」と即座に眉を顰めるほどにひどいことなのだと自覚したのは、カウンセラーさんの言葉がきっかけでした。
 
「普通は、いじめられて帰ってくる子供は、家ではもっと楽しい気持ちにしてあげようとか、ストレスを減らしてあげようとリラックスさせてあげるとか、そういったご家庭でのケアが必要な子供です。私なら、そういった子にふざけてでも「豚」などとは呼びません」
 
 目から鱗、とはいきませんでした。
 どちらかといえば、胸に刺さりました。
 私は、そういう考え方があることを知っていたのです。
 いじめられた子に、家でのケアが大事だと。
 親からの温かい声掛けというものが、どれだけ必要か。
 事実、娘がいじめられて帰ってきたら、私はきっといろいろなことをするでしょう。
 声掛けに気を付けて見たり、宿題を丁寧に見たり、少しのことでも褒めて見たり。
 余裕があれば、一緒にご飯を作ったり、ケーキを焼いたりするでしょう。
 
 私は、「将来娘がいじめられたときしてあげよう」と思ったときは「正しい在り方」を選べても、
 
 自分がいじめられていたのだから、私が思い描く「娘にしてあげようと思うこと」をされていなかった、という事実にすら、気が付けていなかったのです。
 
「そうか、私は、家庭でのケアが必要な子供だったんだ」
 
 正直、未だにこの言葉を消化しきれておりません。
 まるで根強い胃もたれです。
 朝からロールケーキとチョコレートケーキを食べ、お昼にはチャーシューラーメンを食べてから、夜に焼肉をお腹いっぱい食べた後のような胸やけです。
 
 そのくらい、その事実を飲み込むのに時間がかかりました。
 
 逆を言えば、その状態を「通常」をみなしていた私にとって、それが「酷いことをされていて自分がとても傷ついていた」と理解するのがとても難しい、ということなのです。
 
 いやいやいや、そんなことを親から言われて傷つかない子どもなんていないよ!と思われるでしょう。
 
 それが普通の感覚なのだと分かります。
 が、一旦それを「通常」と認識してしまった私にとっては、天と地がひっくり返ったかのような理解のできないことだったのです。
 
 こんな私にとってはささいな、けれども「なんか嫌だったなぁ」と思い出すことを、ひとつひとつ確認していって、「あのとき、私は傷ついていたんだ。傷ついて当然のことをされていて、嫌だと思った私は当然で、嫌だと訴えることは我がままなんかではなかったんだ」と認識しなおす作業が必要なんだと、ひしひしと感じさせられた出来事でした。
 
 
 
 
 
 

いいなと思ったら応援しよう!