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葉緑体を覚えてください。


 これは私が19歳のときの話です。

 志望校に受からなかった私は、なんとか親を説得して、一年だけ浪人するのを許してもらいました。

 条件は以下の通りです。

・今回受からなければ、母方の祖父の実家がある大学に通い、祖父の養女になること。
(一浪しても大学に受からない子は、恥ずかしくて家の敷居を跨がせたくないそうです)

・浪人中、お弁当が必要な時には自分で作ること。
(高校三年間作り続けたものの、もう面倒だから二度と私のお弁当は作りたくないそうです)

・浪人中、家族の洗濯物と風呂掃除をやること
(本来ならば出て行くはずの人間を家で養っているのだから、家賃代わりに労働すること、とのことです)

・バイトをして、受験料は自分で払うこと
(一度出したのだから、もうお前に出せる金はない、とのことです)

この4つを条件に、私はもう一度大学受験に挑みました。
 結果、きちんと合格を果たし、意気揚々と実家を出ることになるのですが、今回はこの浪人中の話です。

 受験料と受験のための交通費を稼ぐために、私は家庭教師のバイトをしていました。

 とはいえ、時間に融通が利くように、知り合いのお子さんの家庭教師です。
 中学生をふたり。女の子ひとり、男の子ひとり。
 どちらも、小さな頃には遊んであげたことのある近所の子でした。

 県内では名の知られた高校に通っていたこと、
 同じ値段で、希望があれば5教科全てに対応することから、
 浪人中で、たまに時間をずらしてもらわなければならない事情を快く理解してもらい、相場よりも少しお安めのお値段で一年間家庭教師をさせていただいたのですが、

 男の子の方が、典型的な勉強嫌い。
 つきっきりで問題を解かせても、その場限りで次週には全て忘れている、といった子でした。

 親御さんに確認したところ、それでも机に向かう時間、という習慣をつけたい、とのことで通い続けましたが、おそらく元から勉強が嫌いなのでしょう。

 勉強のやる気になれば、と思って水を向けた雑談ではイキイキするのに、いざ問題を解くとシャーペンを握った手がまるで眠り姫。

 さて、どうしたものかと思いながら通っていたある日、中学校の話になりました。

 ご近所さんですから、男の子も私も同じ中学校です。
 しかし、年齢が離れているため、同じ時期に在籍はしていません。面白いもので、学年が違えば、同じ学校でも雰囲気が違います。
 
 ちょうど、私、男の子兄、男の子、私の妹と学年が全てバラバラでしたから、それぞれの年の雰囲気がどんな風だったのか、という話になったのです。

 たしか、あまりにも勉強が嫌いな様子なので、ふと「学校ではどんな風な授業があるの?」と授業態度を探ろうとしたときでした。

「不良が多くて授業にならない」というのです。半ば学級崩壊が起きており、大変なのだと言います。
 それが、子ども特有の大袈裟な表現なのか、本当のことなのかは分かりませんでしたが、
私は「そりゃあ、怖いねえ」と心から出た月並みな感想を零しました。

 そして、私の時はどうだったのかと聞いてきたのです。

 できれば忘れていたかったのでしょう。思い出そうとすればまざまざと思い出せますが、できれば丸めてぽいっと捨てておきたかった中学時代を掘り起こした私は、う~ん、と首を傾げました。

 「なんか、上の学年には不良的な人もちらほらいたけど(なんなら何度か因縁つけられたけど)、同じ学年にはそんなに不良はいなかったかなぁ。代わりに、学年中でたった一人をねちねちいじめる陰湿な学年だったよ」

 私としては、不良なんて怖い存在がいなかったから、平和だったと言いたかったのですが、毎日不良を目にしているサバイバーな彼は、とても悲しそうな顔になりました。

「いじめられてる人がいたの?」
「そうだよ。7クラスもあったのにね、だいたい学年全員が敵だったね」

そして、私にとって衝撃的な一言を発しました。

「可哀想……。その子、今、どうしてるんだろう……?」

 彼の頭の中には、いじめられて可哀想な少女が、いじめに負けて自殺なんかしてないよね、という悲哀やら同情やらがありました。

 私は、彼が幼稚園だった頃から知っているものですから、

なあんだ、この子は、これだけ勉強にはやる気が皆無と言っていいほどないけれど、人として大事なものはもう持っているんだ。
勉強できるに越したことはないけれど、だれかをいじめてはいけないというきちんとした良心や正義感をもっているなら、きっとこの子は大丈夫だな。

と思いました。

 まるで親戚のおばさんですが、それくらい、長い付き合いがある子だったのです。

 ですから、まあ、私は彼を慰めるつもりで、こういいました。

「その子はね、今、君の隣で、君が葉緑体だけでも覚えてくれないか、ずっと悩んでいるよ」

 それから、その子は、とても驚いた顔をこちらに向けて、解答欄に「葉緑体」と書いてくれました。

 いやあの、驚かせて、ごめんね?

 でも、このときに彼がなんの衒いもなく「かわいそう」という言葉を発したことは、確実に私の中に疑念の種を植え付けました。

 今回、こうして自分のことを考えるにあたって、「そうか、自分はあのとき、かわいそうな子供だったんだ」と僻みも嫉みも恨みもなく、ただ純粋な事実として理解できたのは、あの時の彼の一言があったからだと思います。

 
 かわいそう、と同情されることは嫌いでしたが、彼の「かわいそう」は、いじめられていた私を守ろうとしてくれる言葉でした。

 あなたは酷いことをされていたんだよ、という事実を、真綿で優しく包んで差し出してくれたような気になりました。

 その時、19歳。まだ自分の古傷と向き合う覚悟がなかった私は、深く考えることなく日々を過ごしてきましたが、34歳になってようやく向き合い始めた今、あの言葉のおかげで自分と向き合うことができています。

 ありがとう。
 また会えたら、伝えたいです。
 遠くて会えないかもしれないけれど。


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