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飛行機より降り立ちて。

飛行機より降り立ちて。
 
 結婚してから、数年。
 ほぼ実家に帰ったことがありません。
 ほぼ、というのは、一度だけ、親の強制で戻ったことがあるからです。
 私の話を聞きもせず、勝手に放任にしておいたツケが、私の体にたまっていると知った親が、なんとかしないと、と呼び戻したのですが、もはやここまで私の意思を無視されると、ただの世間体だったのだと思います。
 
 子どものことを考えてくれる良い親だと思うのは、傍から見ている他人だけでしょう。
 もしかすれば、親もそう思っているかもしれません。
 
 ですが、帰りたくもない、「帰ってくるな、 邪魔だ、うるさい」しか言わなかった親に、今更帰ってこいと言われても、面倒なだけです。
 
 事実、帰って三日で父と言い争い、急性ストレス胃腸炎になりました。
 私は、親に、具合が悪くなったことも言わず、ひとりで病院に行きました。
 そんなことで調子が悪くなるなんて、面倒だ、ひ弱だと言われるのがいやだったからです。
 
 早く戻りたい、とそればかりでした。
 もう、父と同じ屋根の下、同じ空気を吸うのも嫌だったのです。
 
 一体何を言われたのか、それはもう覚えていません。
 おそらく、覚えていたら傷つくので忘れたのでしょう。
 それでも、発端だけは覚えています。
 
 それは、私が実家のある田舎に帰ったすぐのことでした。
 
 結婚した相手の家は、進学先よりもかなり遠い場所でした。当然、実家に帰るのも一苦労です。
 どんな交通機関があるのか、から、調べる必要がありました。
 長い道のりを、バスや電車を使って陸路で行くか、
 移動時間を短縮して、空路を使うか。
 空路を使うと、お値段がかかります。それに、飛行場まではどのみちバスに乗らなければなりません。
 
 私は悩み、空路で行くことにしました。
 道中のイメージが沸いた陸路とは違い、空路を使った場合に、どんな風な道程を辿るのか、確認しておきたかったからです。
 早いのは当然空路ですから、もしものときに備えて、一度経験しておこう、という思惑がありまsチア。
 
 さて、そんなわけで、飛行場行きのバスに乗り、およそ一時間。都会に向けて走る道路の整備がされているのか、それともバスの運転手さんの腕が良かったのか、幸いにしてバス酔いはひどくありませんでした。
 
 とはいえ、根っからの乗り物酔い体質です。なるべく外の空気を吸い込みながら飛行場の中に入り、不慣れな搭乗手続きに向かいます。
 
 乗り物酔いに加えて、わたくし、多大なる方向音痴です。
 道の途中で店に入れば、出てきた後に、どちらへ向かっていたかが分からなくなるほどの方向音痴。
 それなのに、離陸する飛行場は国際空港なだけあって、とんでもなく広いのです。
 広いわりに、丁寧な案内があって、あまり迷いませんでしたが、それでも行ったことのない場所は緊張します。私は、搭乗時間よりもかなり早い時間に、搭乗口までたどり着きました。
 
 さてはて、待つこと一時間。
 ようやく飛行機に乗り込みます。国内線にしては、まあ妥当な大きさです。中学の時に乗ったプロペラ機ではありません。風も穏やかで、フライトは良好のようです。
 これならあまり酔わないかな、と安心しながら座席を見つけ、荷物を置いて座りました。
 
 が、私の想定は、半分外れました。
 
 たしかに、空は安定していました。雲の上に出て水平移動になれば、「これなら酔わないだろう」と思わせるほどでした。
 
 しかし、酔いました。
 
 なぜって、そりゃあ、飛行機が揺れたからです。
 そう、空ではなく、離陸で酔いました。
 そりゃあそうですよね。あの鉄の塊が、たくさんの人と荷物を載せて、空に飛びあがるんです。燃料だけじゃなくて、助走が要ります。
 はい、そうです。
 わたくし、最初5分の助走で酔いました。
 飛び立った後の重力でも酔いました。
 
 機体が安定するまでの15分で、でろりと溶けておりました。
 
 とはいえ、大人になるにつれ、まだ酔いもマシになっています。エチケット袋が必要になる事態にはなりませんでした。
 
 
 しかしながら、さらに悲劇が待っています。
 そうです。着陸です。
 
 それも、外の空気が吸えないまま、20分しか平穏な時間がなかったのに、もう着陸なのです。
 二度と必要がない限り、国内線には乗らないぞ、と思いました。
 
 結果、実家の近くの飛行場に降り立った時には、完全に乗り物酔いを起こしていました。
 
 ここから、荷物を持って外へ出なければなりません。けれども、できればまだ動きたくない。
 後ろからはぞろぞろとお客さんが列を作っています。私は、早く出て外の空気を吸いたいと思いながら、それでももう少し酔いを醒まさなければ動けない…と悩みながら、座席に座って人の波が落ち着くのを待ちました。
 
 半分以上の人が降りたころでしょうか。
 私はようやく席を立ち、のろのろと歩き始めました。
 
 離陸した飛行場とは違って、田舎の国際線です。
 あれほどの広さはないにしても、ここで私が飛行機を利用したのは3回目。
 1回目と2回目は、中学二年生の時ですから、そんなころの記憶なんて、あってなきがごとしです。
 
 のてのてと歩きましたが、さすが田舎。降り場までは一本道で、私でも迷いませんでした。
 
 しかしながら、心配なくなったのは迷子だけ。酔いを醒ますために、なるべく外の空気が吸える場所を選んでゆっくりと進みます。
 だってこれからまた、40分、車に乗らなければならないのです。
 
 父が迎えに来ると聞いています。
 そう、母ではないんです。
 この場合、母が望ましかった。
 なぜならば、父の方が運転が荒いんです。母の車で酔うことはありませんでしたが、父の車では必ず酔ったという幼いころからの苦手意識も大きくありますが、父の運転では酔いやすいのは確かです。
 
 それを、すでに飛行機で酔った後に、耐えなければなりません。
 
 少しでも、酔いを醒ましておこう、というのは、人間として素晴らしい対処法だと思います。
 
 さあ、そんな感じでよろよろと飛行場を出て、迎えの車を見つけてなんとかたどり着いた父が言いました。
 
「お前は、出てくるのにどれだけかかるんや!」
 
 酔ったのだから仕方ないと言っても、聞く耳を持ちません。
 こんな田舎の飛行場など、3分あれば十分だろうと言うのです。
 
 それは、長年サラリーマンとして何度もこの飛行場を出張のために利用してきた経験があった上で、乗り物酔いなどしない父だから言えるのです。
 
 経験も体質も違うのに、相手を思いやる言葉をかけるどころか、全て無視して、自分を待たせたことだけにイライラする父。
 
 あれ?
 文字にしたらなんだかただの癇癪持ちの酷いやつですね??
 
 え、私、なんでこれを親だからと言って大切にしなければならないのでしょうか?
 もしもこれが親でない赤の他人で、「上司にこういう人がいてさ~」とか「彼氏がこんな人で」と娘に言われたら、私は全力で「そんな人とは付き合わなくていいよ」と答えます。
 付き合いたいなら止めはしないけど、嫌になったらすぐに逃げな。義理や人情だけで付き合ってるなら、その縁は悪縁だから切っても大丈夫だよ……と、いうはずです。
 
 ええ?
 
 うちの父、そんな人??
 
 いやだあ。
 
 私、どうあがいても、そんな人の娘してなきゃいけないの~?
 死んでも娘な事実は変わらないの~??
 
 この世は地獄です……。
 
 
 と、まあ、そんなことがあって、初日の「おかえり」も言われないまま、遠路はるばる呼びつけた娘に不機嫌をまき散らして「お前のためを思って」だなんて言われても、「だったらもう少し過ごしやすい環境を作ってよ!」と思ってもしょうがないでしょう。
 
 そもそも、彼らが「おかえり」と言ってくれたことなど、数えるほどしかないんですけどね。記憶を引っ張り出さなければならない時点で、おかしいのです。
 
 私はちゃんと気づきました。偉い。
 
 だいたい、「ただいま」と言って帰ってくる人に「おかえり」と言わないなんてどうかしています。
 電話に出ているとか、話してて聞こえなかったとか、そんな理由があるならまだしも、学校から帰って来た娘にすら「おかえり」と言わないのですから、私の家はそこではなかったのでしょう。
 
 
 現在、娘が幼稚園に言っておりますが、毎朝、「いってらっしゃい」と言って見送り、「おかえり」と言って抱っこするのが日課です。
 お父さんのお見送りもきちんとしています。
 
 まあ、なんて丁寧な暮らし!
 
 と思っていましたが、違いましたね。こっちが普通なのです。
 じゃあ、「おかえり」を言わない実家が、「異常」かと聞かれたら、「そこまででも…」と思ってしまう私は、まだ認識が甘いのでしょうか。
 
 だって、虐待があったわけでも、ネグレクトがあったわけでもありません。
 食事は一応出てきたし、衣食住で困ったことはないんです。
 ただちょっと、精神的に衣食住が満ち足りていたかと言われれば、首を傾げざるを得ないだけで……。
 
 
 どうなのでしょうか。
 私の認識に過不足があるのなら、糺していきたいと思いますが、皆さんはいかが思われますか?
 
 
 
 

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