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「お前はどうでもいい」と父は言った。

お前はどうでもいい。

 ドラマの台詞でしょうか。
 いいえ、違います。
 私が実際に言われた、父親の台詞です。

 誰もが覚えていることでしょう。
 未曽有の大災害を引き起こした、3.11の後、地震対策の水準が急激に跳ね上がりました。
 SNSは反対派がなりを潜め、大幅に普及。
 主流だった携帯電話は、電池がすぐ切れると敬遠されていたスマホにとってかわりました。スマホが主流になる動きを見せるにつれ、スマホ自体の性能が上がり、すぐに電池切れ・パケット切れの心配もなくなり、なんならパケットがなくなってメガだのギガだのになりました。

 そんな中、政府か研究機関かなんかよく分からないけれどお上が頑張って出来上がったのが、「緊急地震速報」です。

 2024年のお正月に全国に鳴り響き、人々を恐怖に陥れた能登の大地震で活躍した、あの緊急地震速報です。

 それが、全国で整備が整ってしばらく経った頃のことでした。

 しばらくと言っても数か月。数か月の間に、実際、緊急地震速報が役に立った人はほとんどいなかったでしょう。

少なくとも、私が住んでいた地域では、うんともすんとも言わないままでした。

その緊急地震速報が、鳴ったのです。

 夕方、もうすぐでバイトが終わろうという時間でした。

 小さな部屋の中、パソコンに向かって作業を続けていた数名の鞄の中から、突如聞いたこともない不協和音が流れ出しました。

 それにわずかに遅れて、館内放送が流れます。

「緊急地震速報です」

 私は慌てて机の下に隠れました。

 何を隠そう。私は地震が大の苦手。

 阪神淡路大震災では、ほんの子供で、ぼんやりとしか記憶にありません。
 わずかに揺れたものの、被害という被害がなかった地域です。

 3.11も、数時間の差で実家に戻り、揺れのない地域にいたことで、あの大地震を知ったのが、発生から数時間後という体たらく。

 経験のないよく分からない恐ろしい大地震。

 存在だけでも怖いのに、実際に地面が揺れるんです。

 そんなわけで、その部屋の誰よりも真っ先に机の下に潜った私でしたが、その部屋で一番偉い方に、慌てたように「そんなところに入っちゃだめ!」と声を掛けられました。

 当時自覚はなかったものの、役立たずの烙印を押されて育った私は、
 
なんだと、バイトは場所を開けろとでもいうつもりか、それとも馬鹿にするつもりかと一瞬よぎりましたが、違いました。

「この建物、耐震工事できてないから! 外に逃げるよ!」

 建物が信用できないとは、これいかに。
 そんなことがあるのかと驚きながら、
 その方の号令で、部屋中の人が避難を始めました。
 耐震工事ができていなくとも、公的な研究機関にお勤めの方々は優秀です。焦らず喋らず、足早に、一斉に外へと逃げていきました。

 しかし。

 建物の外に出ても、揺れません。

1分経っても、2分経っても、5分経っても揺れないのです。

 揺れない中、終業のチャイムが寂しく鳴り響きました。

 それを、皆が外から聞いています。いつもより少し小さく、間延びしたチャイムです。

 チャイムから5分経ったころ、「揺れないねえ……?」と誰かが諦めた声を上げました。

 そうです。そのときは分かりませんでしたが、どこかで雷が鳴ったことによる誤報だったのです。

 何だったのか分からないながら、まあ大丈夫だろう、ということで、戻って帰り支度をしようという話になりました。

 私は、バイト先の方に許可をもらって、実家に連絡を入れました。

 おとんは当時、自営業。ずっとパソコンの前に張り付いている状態だったので、きっとこの緊急地震速報を知っていると思ったのです。

 よく分からんが、とりあえず揺れなかった。今のところ私は無事だと、親に伝えようと思ったのは、子どもとして当然の心遣いと言えるでしょう。

 が、電話に出たおとんはイラついた声で私に言いました。

「今は次女(私の妹)が、そっちに行っている。次女が心配だ。お前はどうでもいいから切るぞ」

 なんということでしょう。

 私は知らなかったのですが、次女がオープンキャンパスのため、私が進学した県の隣の県に来ていたようです。
 地域は同じ。緊急地震速報も鳴り響いたことでしょう。
 
 が。

 どうでもいいって、どういうこと!?

 そのとき、私は憤りました。

 けれど、親に逆らうな、と教え込まれていた私の憤りは、まだ冗談の範疇でした。

 それが、時を重ねるうちに、「あれ、結構ひどいこと言われてないか?」と気づきました。

 親になれば、分かるのか。

 子どもが成長すれば、分かるのか。

 二人目が産まれれば、分かるのか。

 親が、もしかすれば娘の命が危ないという際に、言葉の綾だとしても「どうでもいい」という言葉が出るものなのか。

 考え続けましたが、答えはひとつです。

「ありえない」

 もし、私が将来、同じ状況で、夫が同じことを娘に言ったら、問答無用で離婚します。
 即座に離婚届をもらってくるでしょう。
 同時に弁護士を雇って、慰謝料をふんだくります。娘の教育費なんて、びた一文まかりません。
 
 それくらい酷いことを言われたという自覚が芽生えたのは、けれどもその日から5年以上も経ってからのことでした。

 母にも言いましたが、その母でさえも父を叱ろうとはしませんでした。

 何度も訴えるうちに、一度だけ「そんなこと言ったの、あの人」とは言いましたが、何度も訴えたにも関わらず、前回言ったことを忘れていることさえありました。

 これが、私が親と完全に心の距離を置いた一番の原因です。

 この出来事がなければ、私はまだ親に従順な娘だったかもしれません。

 親の言うことに逆らう自分を、悪い子だと思って親不孝を謝りながら生きていたことでしょう。

 でもむしろ、この出来事があったからこそ、10年もかかりましたが、自分を見つめ直して、幼いころからの嫌だったことを認識しなおして、歪んだ認識を直していこう、という機会に恵まれました。

 私の親は、悪い人ではありません。

 愛情がなかったとは思いません。

 でもそれは、私が欲しい愛情ではありませんでした。

 私が必要としていた愛情でもありませんでした。

 もしかしたら、それは世間一般では愛情と呼べるものではなかったかもしれないほどのものでした。

 衣食住だけ満足に与えていたら、愛情があるとは言えないのです。

 愛情とは、もっと、暖かくて、優しくて、大切な物だとおもいます。

 せめて「妹も心配だから、今は切る。けど、お前が無事でよかった」と普通の台詞がとっさに出る親だったら。

 多分私は、ここに書き込むエピソードなんか、ひとつも経験しなかったに違いないのですから。


「どうでもいい」と父は言いました。

 もしかしたら、命の瀬戸際だったかもしれない、あの瞬間に。

 例えばもしも、戦争中に起きたとすれば、敵も味方も助け合うかもしれないような地震が起きるかもしれないような、そんな場面で。

 親が「どうでもいい」と子どもに言える気持ちは、分かりたくありません。

 ですから、私も言いましょう。

「どうでもいい」と。

 あなたの命の瀬戸際に、あなたよりも、自分の家族の方が大事だから、「父さんなんか、どうでもいい」と言いましょう。

 子どもは親に従って当然だというあなたは、きっと、
 それで反省するような人では、ないのでしょうけれど。


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